『リメンバー・ミー』とディズニーの設計主義
『リメンバー・ミー』を遅ればせながら観てきて、不覚にも号泣してしまった話について書く、一応レビューという形式になるだろう。
この作品の大筋だけ説明すると、音楽の道を志すメキシコの少年が死者の国に迷い込み、そのなかで世界一の音楽家だったという高祖父に自分の夢を祝福してもらおうと冒険する物語である。
ディズニーの映画というものは、その設計思想から言って、誰もが楽しめるようにできている。子供でも大人でも老人でも、男でも女でもそれ以外でも、アメリカ人でもロシア人でも中国人でも、殺人犯でも牧師でも総理大臣でも、誰にとってもある程度の娯楽となるように作られている。
この『リメンバー・ミー』も例に漏れず、基本的に込み入ったストーリーもなく、意味深なテーマもない王道の家族アニメである。それにもかかわらず、この作品が(少なくとも私にとって)大傑作になったのはこれから説明するいくつかの要素が、非常に上手に作られているからだ。
まず舞台設定がよかった。今回ピクサーはメキシコの文化。特に先祖が1日だけ現世に帰ってくるという「死者の日」信仰を物語の核に据えている。映画の中で描かれる極彩色の「黄泉の国」とそこに住む死者たちの生活は蠱惑的で美しい。正直このビジュアルだけでも見る価値がある。
劇中歌もいい。「音楽」と言うのがこの作品メインテーマなだけあって様々な曲があったが、全ての曲が世界観によくマッチしていた。「リメンバー・ミー」という曲名をタイトルにした日本スタッフの判断は英断だったと思う。
結局ここに行き着くのだが、何と言っても大谷翔平ばりの165キロストレートど真ん中のストーリーが良かった。ここまでの直球だと、変に話の筋をこねくり回すよりも、かえってスタッフが観客を楽しませようとする姿勢が伝わってくる。あまり頭のよくない僕でも、序盤のひいおばあさんのセリフで作品のラストが予想できた、それでも結局最後に号泣してしまったのは結局誰かの心のなかに自分を置いていたいと言う願望が、根源的なものだからなのかな、とふと思っている。
ディズニー・ピクサーみたいなマーケティングとコンテンツ設計をしっかりやっている会社の作品で感情を揺さぶられるのはどこか悔しい部分があるのは正直なところだ。感動は計算で作れることを示しているのだから。