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今、父を想う

亡くなった日の記憶)
2021年9月9月、朝6時すぎ、俺が会社の駐車場に着いた頃、母から「お父さんの容態が悪いので、すぐ病院へ来て!」と言われて、すぐ近くだったので病院へ行く。嫁は妹に乗せてもらって病院へ行くことが出来た。
 
遡ること約1ヵ月前の8月2日に父の衰弱が進行して歩くのも立つのもままならない介護状態になっていたので、近所のクリニックから紹介状を出してもらい、総合病院へ検査入院することになった。
 
俺を含む家族全員、病院で精密検査をして、病気の原因が分かれば治療が出来るから体調は回復すると単純に考えていた。実際には検査が出来る体力も残っていない状態で、まず栄養を入れて体力を回復することが先決だった。

今回は新型コロナもあり、面会も出来ない状態で、病院からの連絡を待っているだけで父の病状がどうなのか全く聞こえてこなかった。
 
8月29日、急に父から電話があって、「今日、退院するから迎えに来てくれ」と言われる。何だか誰も見舞いへ行けないので寂しくて家に帰りたくなったのかなと皆が思って、「今日は日曜日だから退院出来ないんだよ」と言い聞かせるも何十回と電話があったけど、その後は無視して、そのまま退院騒ぎは収束した。
 
9月3日に父の容態が急変したとの連絡で総合病院へ駆け付ける。つい先日、電話で話したばかりなのに何だろうと思いつつも行くと、思いのほか事態は深刻だった。その後、コロナ禍で2人ずつの面会と言うことになったので、母と二男、俺と嫁の順で4人が父の顔を見てくる。
入院前から痩せこけていたけど、もう意識も朦朧として危険な感じが伝わってきたが、声を掛けると目を見開いて何か訴えるような表情になったりして、かなり衰弱しているが頑張っていた。
嫁も俺も父に声を掛けて応援。どうやら血尿が多いので輸血が必要だと言うことで、母が書類を書いてきた。この時に父を見て、居なくなっちゃうかも知れないと寂しくなった。予想外の展開に驚きが強かった。
 
 そして先日の父の退院騒ぎのことを思い出して、もしかすると父は自分の死期が近いことを感じて、家でみんなに見守られて死にたいって思ったのかなぁと思ったりして、実際にまともに話せた最後の電話だったので、父に冷たい応対をしてしまったことを悔やんでしまった。またコロナじゃなければ、面会も何度も行けて、寿命も少しは長くなったかな?とかたくさん話しが出来たかな?とか色々と思うことはあるものだ。
 
そんな9月9日の朝、コロナ禍でこの状況でも父の病室へ入れるのが1人ずつと言われ、看護師さんと一緒にベッドの父を見ると、すでに息をしていなくて、計器の反応も無いし、すでに亡くなっているようだった。一瞬、「あれ?父さん、死んじゃったの?」と驚くが、病室の空気は淡々としている。医師の死亡確認が終っていなかったので俺はそのまま待っていると、医師がやってきて、「6時41分、ご臨終です」と言われ、ありがとうございましたと一旦、その場を離れることになる。家族が亡くなるってこんな感じなのか?淡々と物事が進んでいき、悲しむ余裕もない。と言うか現実が受け入れられないってのが本音だろう。

享年79歳。死因:心アミロイドーシス、心不全

やっぱり家に連れて帰るとか役所への手続きとかやることが山ほどあるので、悲しむ時間ってあんまり無いのかもしれない。俺もそこから会社へ行って、父の死去を上司に報告し、忌引きで1週間休むことを伝えて、午後一番には1回目のワクチン接種をしてから実家へ戻った。とにかくバタバタな1日だった気がする。
 
さて父との話し。
俺の勝手な推測だけで書いていくが、父は俺を一番に気に入ってくれていたと思う。いつも優しく声を掛けてくれるし、自分が困った時にも電話や相談をしてくれていた良い関係を築けていた。しかしながら、少し古い考えの人間で、頑固なところもあり、比較的、口数も多くは無い。少し家族からすると父さんは気分屋であまり話しても面白くないみたいな感じになっていたような気がする。ちょうど俺が結婚する頃なんかは、優しくなっていて、年齢的に天然的なボケもありつつ、シルバーの仕事を熱心に頑張る父って感じで嫁も好意的に話しをしていた。
 
こうして父を振り返る時に、実際の父はどんな人だったんだろうと悩むこともある。子供ながらにずっと居てもホントのところは知らないことも多い。大人になってから父と密に話しが出来たかというとそうでもないし、どちらかと言えば、母寄りの生活をしていて、それを父も悪く思っていない節もあったので、そこまで父を知ろうと努力をしてこなかった反省もある。
ただ俺なんかは父を尊敬している、大家族で育ち、自立して頑張って働いて、家を建て、子供を養い、苦労しながらも普通の生活をさせてくれたことは幸せなことである。まぁ子供ながらに悪いことをして、何度かげんこつされたり、怒られたりしたけど、ちょっとした観光や食事にも連れていってもらえたし、思い出すと楽しいことも沢山あるものだ。

父が亡くなって1週間後、通夜と葬式を執り行い、俺が喪主として送り出せたのは良かったんだと思っている。
ただあと少しだけ一緒にいて話しをしたり、旅行がしたかった。


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