西洋哲学と神学の解剖


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以下は私自身の哲学というより、西洋哲学と神学の解剖を試みたものである。

意識の物理的唯一無二性、非生物も含めた万物の中に退隠する個々の実在性は、ハーマンのような汎心論的多元論の妥当可能性を示す。しかしそれは観測者側の視点であり、仮に鏡像構造であれば意識はユングのような唯一全体性(集合的無意識)となり、その宇宙意識が被造性の器となる。

茂木氏も『クオリアと人工意識』で多元論的意識とその先の集合的無意識(唯一的意識)について述べている。これはユダヤ・カバラのアダム・カドモンに相当し、それに科学的思考が接近したことを示す。

三つの地平がある。それは①物理現象の地平、②汎心論的多元論の地平、③集合的無意識の地平である。そして哲学者によって異なる超越論としての神がある。

これらはそれぞれ鏡像(二重)構造を持っている。物理現象の地平は射影(第四鏡像)、汎心論的多元論の地平は流出論(第三鏡像)、集合的無意識の地平はアダム・カドモン(第二鏡像)、そして超越論としてのイデア界は第一鏡像に相当する。

物理現象と集合的無意識を総合したものは宇宙と呼ばれる。プラトン的な宇宙は被造物という観念においては被造性の器である。宇宙の鏡像としての外宇宙(イデア界)は神(創造性の光)に相当する。

この場合、イデア界と宇宙を結ぶ接点が集合的無意識(あるいはアダム・カドモン)に相当する訳だから、この接点は二重性を帯びており、これが第二鏡像である。
創造の光から集合的無意識が生まれ、それらが境界を隔てて展開することで汎心論的多元論の世界となるのは、新プラトン主義である。

新プラトン主義の流出論は、現象界と集合的無意識の鏡像構造を持つ。これが第三鏡像であり、集合的無意識から汎心論的多元論へ展開するのが神的霊力の流出である。

汎心論的多元論はライプニッツのモナドロジーに相当する。
物理の現象界は主体と客体の射影による世界である。この主体と客体の鏡像構造は第四鏡像に相当する。これが現象学の観測範囲(思考とクオリア+身体)であり、現象学はそれより深層はエポケーする。

実在としての神を巡る哲学は、外宇宙のイデアとしてのプラトン、内宇宙のエイドスとしてのアリストテレス、外宇宙からの流出論としてのプロティノス(新プラトン主義)がある。また多神論は汎心論的多元論に相当し、物理現象の地平に留まる存在論は実存主義である。

神秘主義の世界に相当する第一鏡像、第二鏡像、第三鏡像は、三位一体論における父、子、霊の概念に相当するだろう。現象界は三次元であり、第一鏡像(父)、第二鏡像(子)、第三鏡像(霊)の構造と関係が具現化した世界と言える。

この図では、神は第二鏡像(子)と重なり宇宙に内在している。また第三鏡像(霊)は宇宙の神秘的力として宇宙に内在している。よって、外在説と内在説は子(ロゴス)と霊(力)において両立する。

全人類の肉体の源としてのアダムと全人類の意識の源(集合的無意識)としてのアダム・カドモンは概念上対応関係にある。肉のアダムが全人類の肉の父を象徴して罪と死を継承したのであれば、霊のアダム(主イエス)は全人類の霊の父を象徴して義と命を継承する、という観念がある。

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