『ヨブ記』

イスラエル人ではないヨブは、勧善懲悪、因果応報の原理を神に訴える。三人の友はヨブは悪を為したから不幸になったのだと責める。仲介者エリフの後、ヤーウェは神の公正を人間の浅知恵によって裁けるかと問い、ヨブは悔い改める。しかし、不幸の原因の真相はサタンであったと本書は明らかにする。

『ヨブ記』は神義論の知恵の書。神が唯一ならば、なぜ不条理や悪が存在するのか。因果応報は正しく機能しないのか。ヨブは神を訴えるが、神は真の理由をヨブには告げず、神の知識は完全なのだから、理由は分からずとも神の公正を信頼すべきと説く。悪や不幸の存在には、人知の及ばぬ真の理由があるということ。

本書が明かすのはサタンの存在である。悪や不条理の存在にはサタンが関係する。サタンはヨブの忠義を疑った。そこでヨブを試させようと仕組んだ。不条理な不幸に貶めれば、誰でも神を裏切りますよ、とサタンは言う。神はヨブを信頼していたので、この試練をヨブに与えることを許可した。サタンはヨブの全財産や子供を奪い皮膚病に陥れた。ヨブはそれでも神を呪わなかった。

しかし、ヨブが苦しみからの解放である死を強く願うと、三人の友人たちはヨブを責める。泣き言を言うなと。しまいにはヨブが密かに罪を犯したから悪い報いを受けたのでは?と言う始末。ついにヨブは神に苦情を訴え、自分は何も悪くないのに、なぜ神は沈黙したままなのか!と怒る。仲介者エリフは、ヨブの神への非難をたしなめる。

ヨブは決して神を呪うことはしなかった。ただ率直な苦情を訴えたのである。その時ヤーウェは嵐の中から登場し、天地の創造の知恵の深さと、人間の知恵の浅はかさを対比的に思い起こさせる。しかし、神は真相は話さない。これがサタンによる試練だと。話してしまったら試練の意味がなくなるからだ。ヨブはまだ試されている。

ヨブは神の声を実際に聞いて、悔い改め、何があろうと神の公正を信頼すると決意する。これにより、サタンの試練は失敗に終わった。極限まで追い詰められたヨブは取り乱し罪を犯したものの、神を最後まで呪わなかった。サタンがヨブから離れると、神はヨブを現世のうちで祝福した。

後に『ヤコブ書』はヨブの忍耐と祝福を例に取り、キリスト者としての信仰の試練(迫害や罪との闘いや不条理など)の忍耐は決して無駄に終わることはなく、慈悲深い神は必ず大きな祝福を賜ることに希望を持つように、と励ました。神が試練を与えているのではなく、自らの欲望によって試練を受けるのだと。そしてその背後には、信仰を試して罪の欲望を誘い出す、世を支配する霊、蛇であるサタンの存在もあるだろう。しかし、ヨブと同様に、試練があるからには、今でもすべての理由が明かされているわけではないだろう。だからどうしようもない不条理に直面する時、ヨブ記の知恵は信仰を忍耐する助けとなる。

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