人権は存在しない

今から現代の倫理観の欺瞞を暴こう。人権など存在しない。神と同じく人間が作ったシステムに過ぎない。自然界には人権はない。

正義など存在しない。ただシステムがあるだけ。正義の振りをした偽善(偽正義)というのは存在する。

尊厳というのは権利ではない。殺すな!という叫びである。そこに正義なんかない。怒りと暴力があるだけ。

本当に非暴力を貫くなら、権利を主張せずに殺されるがままに任せる。喜んで犠牲になる。それが美徳の時代もあったので、西洋の人権思想が普遍的な正義なわけがない。

人権人権言うなら肉食も今すぐやめなければならない。水と空気だけ食べろ。戦争なんか一切せず武装解除しなければならない。そんなことできないくせに。人間を特別視して正義ぶるのには反吐が出る。

人権を叫んでも自然界には通用しない。肉食獣に襲われる時は容赦なく襲われるし、自然災害は無差別殺人してくる。病気は万人を襲うし、防げない事故もある。国が戦争を始めれば市民が殺される。大半の人は他国の戦争に無関心で自分の生活のことしか考えてない。無敵な人(犯罪者)は法律で脅しても効果はない。だから、自然界や国家や世間が万民を手厚く守ってくれるなんて幻想だ。自分の身は自分で守るしかない。殺されちゃったら仕方ないんだ。恨んだって仕方がない。それが自然の摂理なんだもの。生き残った者は這いつくばって生きるしかないんだよ。

ある正義を主張することは、一人で勝てないから仲間を募って権力を倒そうという暴力に他ならない。ある正義は必ず他のある正義と衝突する。どちらが正しいなんてことはない。強い方が勝つだけ。その殴り合いのどこに美学があるのか?日頃のストレスの捌け口にしか見えない。運が悪かったなと思って、逃げるが勝ちという知恵だってある。

僕は自分が正しいと思って生きていない。加害者寄りの被害者だと思って生きている。暴力したくてしてるわけではない。僕だって誰も殺したくない。でも、死ねないから仕方なく生きている。僕を殺して養分にして生きたい人がいるなら、どうぞって感じ。でも、僕も僕を守らないといけないから、僕の生を邪魔する人は僕の敵だし、簡単には殺させない。僕は生きる本能に従う。戦いたくないから必死で逃げる。戦う時は、正義を振りかざすのではなく、殺すな!やめろ!と全力で叫んで威嚇するだけでいい。そこに理屈なんかない。みんなも生きて欲しいとは思うけど、自然は容赦ないから、死んじゃったら運が悪かった、悔しいけど、仕方がない。わんわん泣いて受け入れる。誰かのせいになんかできないんだよ。自然の無慈悲さと、人間一人ひとりのちょっとずつの我儘で、それが集団になるとやばいことが起き、もはやその責任は個人や組織を超越しているんだから。一人一人の我儘をなくすことなんてできないし、我儘がなくなったらそれはそれで死んでしまう。つまり、それを強引な政治や科学技術で無くそうものなら人間自体が絶滅するしかないことになる。だから受け入れるしかない。命はそういうものだ。

人間社会が少しずつ良い方に改善されていってるなんてとても思えない。メリットとデメリットの見え方が変わってるだけで、本質的にはどの時代も同程度であり、いつの時代も総合的に見たら構造は変わらないと感じている。僕は構造主義者だ。

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