2024/2/6 好きなものリスト2

好きなものリスト2を作ります。

・ちょっと高いチョコレート

バレンタインの時期になると、デパートでチョコレートの催事が開催される。スーパーで売ってる市販のチョコレートも好きだけど、年に一度贅沢をして高級なチョコレートを買うことが好きだ。高級チョコレートは風味が繊細で楽しい。柑橘系の香りづけとか、層構造になっていて風味がグラデーションになっていたりとか、一粒へのこだわりが感じられるところがよい。個人的に、ケーキなど他の洋菓子と比べても、チョコレートは食感の刺激が薄いことが多くて、風味の繊細さに集中できることが多い。

こういう場のチョコレートは風味はもちろん、それだけでなく形とか文脈がでも楽しませてくれる。美術鑑賞に近い。幾何学的な形や、宝石を模したもの、星空のようにきらめいているもの。目で見てわかる楽しさもある一方、使用しているカカオの産地だとか、コンセプトだとか、目で見ただけではわからない面白さがある。ブランドは特にコンセプトとかを大切にしている印象。美術鑑賞もその作品が制作された年代と時代背景、美術史の流れやコンセプトを知っていることで解釈の幅が広がる。チョコレートにもそういう側面がある。

今年も自分用にチョコレートを購入する予定で、それが楽しみだ。バレンタインなんてあと数えるくらいしかないのだから、たまの贅沢くらい許してほしい。

・舞台少女心得
https://open.spotify.com/intl-ja/track/7kIzgMRUOVmbstyJSbdjh0?si=e42cf02b1e2d420b

少女☆歌劇レビュー・スタァライトの楽曲。昨年の夏に劇場で再上映されていて、それを見て以来、ふとした時にレビュー・スタァライトのことを考えたりする。特に最近の供給を追っているわけではないのに、ここまでの影響を与えられたとなると、とても大切な作品なんだなと実感する。

この楽曲は特に好きな楽曲で、「悔しさ後悔 その全てが ねぇきっと糧になる 明日の」という歌詞に凄みを感じている。伝えたいメッセージはシンプルで、万人に刺さる。それが「ねぇきっと」によって、舞台に立つ彼女たちから私たちへの呼びかけになる。舞台は映画やドラマとは異なり、舞台と客席が時間的にも空間的にも繋がっている。映画やドラマは必然的に鑑賞している「今」より前に撮影されたもの(時間的な隔絶)であり、それは鑑賞している「ここ」ではない場所で撮影されたものだ(空間的な隔絶)。一方、舞台は客席で鑑賞している「今」目の前で行われており、客席と舞台はほんの数メートルの距離だ。舞台と客席が地続きだからこそ、舞台少女から客席の私たちへの呼びかけは、直接的に届く。

以下少しネタバレと解釈

「舞台少女」は作中で取り上げられる特殊な存在である一方、今現実を生きている私たちともイコールで繋がることのできる存在だと思う。

劇場版の「列車は必ず次の駅へ──では舞台は?あなたたちは?」は作中の舞台少女たちに投げかけられた言葉だが、それは高校を卒業して次の進路に向かう、モラトリアムを終わらせて自分の存在を決定する、一般的な高校生でそのまま言い換えても辻褄が合う。作中の進路希望調査表は、舞台少女に限らず高校生ならば誰もが書くものであって、そこで悩む姿は特殊な舞台少女と一般的な高校生との重ね合わせである。舞台少女は一般的な高校生とは異なり、普通の女の子としての生活を捨てて、きらめきを手にしている。それなのに、舞台少女は一般的な高校生がどこか違う場所で抱えるであろう悩み、葛藤、苦しみを抱いている。いかにもわざとらしく、舞台少女が私たちのメタファーである描写も見られる。舞台少女は可能性の一つであり、それゆえ、私たちにとてつもない共感性を与える。

だからこそ、舞台少女としての矜持を歌ったこの楽曲は、今現実を生きている私たちへのエールとして捉えることもできる。


・ファミマの黒豚まん


小腹が空いたときに買ってしまう。めちゃ肉って感じでおいしい~。普通の肉まんと比べると少し高い(220円)けれど、補って余りあるおいしさ。そういえば、子どもの頃は肉まんがあまり好きではなかった。肉まんって意外と野菜が主張してる。ファミマの黒豚まんは肉って感じが強くて野菜はひかえめ。玉ねぎは入ってるらしい。

子どもの頃肉まんが好きではなかった理由、きっとタケノコが入っていたからだ。肉まんを食べるとき、頭は肉を想定してるのにタケノコのゴリッとした食感が脳に伝わってくるからそのギャップが苦手だったのかもしれない。今は野菜は好きなので、タケノコもなんなく食べられる。

子どもの頃苦手だった食べ物、想定とのギャップに驚いて苦手になることが多い気がする。なすとかも想像より柔らかいし、しいたけは無機的な色に反して香りが強い。今はそのギャップを素直に「面白いな」と受け入れられて苦手ではない。でも、なすとかしいたけを食べるとき、口の中に面白さを感じているのは確かで、それは幼少の頃の名残かもしれない。


こうして見ると、好きな食べ物の属性は数年前と比べて変わったけれど、好きな作品に求める要素はいつまでも変わらないままな印象だ。意外にも食わず嫌いの人はたくさんいるのだろうな、と思う。

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