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大塔宮伝説の残る "妙圓集落跡" を探索

南北朝の時代、大塔宮(護良親王) が辿った痕跡、話が 今も十津川村内じゅうに残っている。

その話のうちのひとつが

妙圓(明円)という集落で

尼さんが  幕府の追及から逃れている大塔宮をかくまい、粥をふるまった

という話。

そんな妙圓集落に いちど行ってみたかった念願が叶った。

20220.4.16

西熊野街道の探索を兼ね、妙圓集落へ。


妙圓(明円)という集落名は、現在 谷の名前、橋の名前 の見受けられる程度。

那知合集落から 明治時代に作られた 新道 を上り、旧西熊野街道へ。

神社の裾を通るルート
山の神 の文字の刻まれた石が祀られている。
かつて しいたけ栽培がされていた場所に埋もれている モーターらしきもの。
はがれかけているが、「ヤンマー」の文字が確認できる。

ここから、架線をひっぱり、ちょうど対岸の 旧 那知合集落に運んでいたとか。

荒れた箇所もあるが、割と状態の良い道が続く。


旧 西熊野街道と合流、左(北)へ。

太子堂跡
ヒクタワの石像(弘化二年に建てられた割に状態良好)

この付近から、斜め左後方へ下りる 半分消えかかっている道をしばらく下りると…

そこは、明らかに かつての 妙圓集落 だった。

竹があるのは、かつて人が住んでいた名残か? その先は絶壁。
わずかに遺る石垣が、そこに道があったことを示す。
尾根筋の道は痛みにくい。
屋敷跡なのか、田の跡なのか、石垣が良い状態で遺っている。
こちらも、石垣が道の存在を示す。
墓地を発見。
ついにたどり着いた、これが妙圓尼の墓。
石には「明治」の元号が刻まれており、伝説よりも墓は随分と新しい。
安政時代の墓石
天保時代の墓石
広場に 謎の大きな穴。
散乱する 墓石。
森本さんのお墓らしい。
このあたりで 昼食タイム。
昼食後、集落跡から下へ。棚田が無数に広がり、肝心の道は どんどん不明瞭に。
道らしき箇所を探りながら下りる
明円谷沿いに かつての街道はあったらしいのだが…。
終始、お手入れされていない暗がしい人工林が続く。
…荒れているなぁ。
しかし、遺る石垣(棚田の跡)は 素晴らしく、見る価値大いにアリ。
平地のほぼない中での稲作、こんな傾斜に人工的に田をつくり
本当に当時の方々は相当苦労されたんだろうなぁ。
…何て滝だろう?小さいが、苔むして風情ある滝。
小さなたまりに、魚が泳いでいたそう。
道下がえぐれており、道の強度を疑問視。
妙圓尼が身を投げたという滝壺か
谷と谷の合流点。
右からが 明円谷
左からが 寺谷


旧 那知合集落へ。
今の那知合集落は、山奥に元々あった 旧 那知合集落の方々が移住してきて作られた集落らしい。

その 元々あった那知合集落にて、寺の跡を発見。

重王寺跡。
…例によって、人工林の中で、景観悪し。^_^;
例の 廃仏毀釈 による廃寺なんでしょう。
こうして、碑を建て 詳細を書いてくれているおかげで
見つけた現場で情報を入手することができ、有り難い。
石を削り作られた 見事な階段は たいへん丈夫!だが 、雨の際はスリップ注意。
朝出発した 那智愛集落に帰着。

総距離 約7kmの山旅でした。

荒廃した山道を歩き、かつての生活の痕跡を巡る山旅、
ひとりで行くより、知識ある方と行くことで
知識を分けてもらえる。
しんどいけれど
これが、とてもおもしろい。(^^)


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