サッカーと審判

福岡戦でのこと

先日行われた第23節アビスパ福岡対栃木SCの試合後の監督インタビューで田坂監督が審判のジャッジについて触れました。
当該プレーは79分の矢野貴章選手と福岡前選手の接触時西山主審が矢野選手の左手での抑え込みをファールと判断したことに対するものと思われます。
矢野選手がロングボールをトラップした後そのトラップボールのコントロールが出来ず大きく跳ねてしまいました。そのボールに対して前選手が詰め、矢野選手との競り合いとなったわけですが、矢野選手の目線で考えるなら自分がコントロールしたボールなので自分に優先権があるため奪われないために体を張っただけだ、と思ったことでしょう。一方前選手の目線からすると矢野選手がトラップミスをしたのでフリーボールに対して自分が先に入った、と感じたと思います。もう一つ、西山主審の目線が一番重要なんですが主審は矢野選手の右側からプレーを見守っていました。DAZN映像では矢野選手と前選手の競り合いは五分五分だったように感じましたが西山主審の位置からだと「前選手が先にフリーボールに追いついていた、それを斜め後ろから入った矢野選手が前選手を手で押しのけて奪った、そしてその手が前選手の顔付近に入った」と見えたのだろうと思います。
DAZNの映像で見る限り栃木にとっては厳しめの判定に感じましたが、実際前選手の顔付近に矢野選手の手が入っていますので(ロングボールの競り合いでジャンプした時に手が顔に入って笛が吹かれるのと同じです)主審の判断に大きなミスがあったとは思いません。審判は自分の目で見て感じたとおりにジャッジにしなければなりません。この辺りはDAZNのジャッジリプレイでも繰り返し強調されていることです。
もし、西山主審をミスジャッジだと糾弾するのであればトラップコントロールできなかった矢野選手も批判しなければなりませんし、失点につながったゴール正面でファールを犯した黒崎選手はもっと糾弾しなければならなくなります。じゃあなぜ選手を批判しないのか?それは栃木のために戦ってくれていることを知っているからですよね。審判は公正公平であることが求められるが栃木にとって不利な判定をしたから叩かれて当然という見方を持っている方もいると思います

判定との向き合い方

多くのサポータは栃木にとって不利になった笛は鮮明に覚えていると思います。しかし栃木に有利に働いた笛はほとんど覚えていないと思います。以前は私も審判の笛に一喜一憂していた時もありました。そして負けた理由を審判のせいにして審判を悪者にしていた事があります。
しかし、自分が練習試合で審判を頼まれたことがあり90分通して審判を経験してから審判に対する見方が大幅に変わりました。例えばファールが起きたプレー自体を見ていたとしても注視していたのが足元でハンドを見逃してしまったりボールを見てしまいその手前で起きた競り合いでのファールを見逃してしまったりしました。私の場合は草サッカーの練習試合でしたからどちらのチームからもクレームがちょこっと入っただけで済みましたが、それでも審判の難しさを痛感するとともにサッカーというのは審判(4人)も含めてサッカーなんだ、ということを痛感しました。それ以来審判のジャッジに対して怒りの感情は持たなくなりました。特にJリーグの場合多くの審判が本業を持っていて仕事をしながら週末に会場に向かい試合を裁き、批判にさらされながらも次の日にはまた本業に戻られているわけです。(審判のプロ化については別論議になりますので触れません)そして試合を安定してジャッジするため勉強、体力強化もされています。そうした事を知ってから「感謝」の気持ちが強くなりました。正しい判定をしているのにミスジャッジと批判され罵倒されるのにまた次の試合ピッチに立ってくださるんですよ。
それで今サッカー観戦をしたときに栃木に対して厳しめの判定が出されても「悔しい」や「畜生」ではなく「残念」という感情を持つようにしています。なので「イヤー厳しいな」と思っても「ふざけんじゃねえよ」という感情は沸きません。ある方からは「審判からお金もらってるんですか」と批判されますが今後ともこの試合の見方、ジャッジに対する見方は変えるつもりはありませんし機会があれば4級審判員の資格にもトライしてみたいです。(使う機会は無いかもしれませんが)

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