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角打ち物語① 焼酎ブームの最中に

立ち飲みブームとは?

2004年頃、恵比寿を中心に巻き起こった立ち飲みブーム。今では「バル」という言葉は一般的だが、16年前くらいに恵比寿を中心に「スペインバル」という業態が乱立していた。
スペインやイタリアでは、街角に一つ必ず立ち飲みのバー(バル)があって、昼間はコーヒーや軽食、夜はワインに気軽なつまみが安く食べられて、サッカーなんかも店内の画面で観戦することができる、そんな業態。
コレを日本にも、ということで少なくてもその当時恵比寿には20店舗くらいそんなおしゃれなバルがあった
スペインバルでは、2015年に調布に移転した「Tio Danjo」、「18番(おはこ)」など、その他にもカップ酒のバル「立喰酒場 buri」など有名店がしのぎを削っていた。
僕らはそんなお店に足繁く通い「TTP(徹底的にパクる)」「CKP(ちょっと変えてパクる」を繰り返しながら、自分たちの業態の構想を練っていった。

焼酎ブームとは?

正しくは本格焼酎ブーム。おそらく2003年頃から始まり、2008年にピークを迎えたブームのこと。
以下のデータを見てほしい。
明らかにこの時期にドーンと本格焼酎の出荷量が上がっている。


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出典:ふるさとコミュニケーションサイト『ふるコミュ』

第一次ブーム:白波
第二次ブーム:いいちこ、酎ハイ
第三次ブーム:本格焼酎(麦、芋、米、黒糖など)

という流れであったらしい。
その当時当事者であった僕らは、なんで焼酎ブームって起きたんだろう?なんて考えることは一度も無く、まさに焼酎に踊らされ、焼酎に泣かされ、焼酎に儲けさせてもらった。

焼酎ブームってなんで始まった??

というわけで、改めて調べてみた。でまさかの驚愕の事実が判明。コレ知らなかった人も多いかと思う。コレ書くまで僕も全く知らなかったのだからw

売り上げを爆発的に伸ばすきっかけになったのは、お笑いタレント・矢部浩之(ナインティンナイン)のひと言だった。02年秋のテレビ番組『ナイナイサイズ!』(日本テレビ)の企画「やべっち自分好みの焼酎を探す!」で、矢部が「うま~!」と絶賛。すると翌日から3日間で前年の1カ月分の「黒霧島」が売れた。第3次の芋焼酎ブームの追い風を受け、03年から10年まで8年連続で前年比2ケタ増の急成長を遂げた。なかでも04年は42.2%という驚異的な伸びを記録した。

出典:Business Journal 攻防激化する焼酎業界の舞台裏 

今更ながらそうだったんだ!と目からウロコが落ちる思いw
で具体的に何が起きたたか、というと、、、


・芋焼酎を始めとした本格焼酎の値段がめちゃ上がった
・芋焼酎が酒屋で買わせてもらえなかった(後にちゃんと述べますw)
・10万オーバーの3Mという謎のカテゴリーまで登場

ざっと、こんな感じ。もう空前の焼酎の取り合いだった。
3Mってのは、芋焼酎の魔王、村尾、森伊蔵。コレを持ってた飲み屋はめちゃくちゃエラそうにできたよねw。周りから超絶羨望の眼差し受けてたし、手に入れた時は世界を手にした気分だったw
そんな最中だった。お店をオープンしたのは。。

立式本格酒処コトブキヤ酒店のオープン


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当時のオープン時のチラシ。エモい!

僕らのオープンしたこのコトブキヤ酒店、もちろん今でも横浜関内の超老舗立ち飲み屋としてバリバリ営業中である。

コンセプトは角打ち。
架空の酒屋「コトブキヤ酒店」という酒屋が、角打ちというスタイルの営業を正常進化させたらこうなるよね、というコンセプト。
その当時バーテンダーもかじっていた僕は、かなりの種類の洋酒も揃え、自家製果実酒も5〜6種類常時仕込み、なんと言っても本格焼酎をその当時でもかなり噂になったくらいの40〜50種類を常時ラインナップさせていた。
※トップ画像は、その当時のスタッフの野郎どもと私です。

で、立式というネーミングから分かる通り、完全に立ち飲みのスタイルだった。金曜日なんかは17時〜翌5時まで営業してたから、なんなら18時位に来た人が深夜立てなくなって倒れる、なんてザラだったw
それでも、「立ち」というスタイルは当時の関内ではかなり異端児扱いされていたので、僕らは啓蒙活動の意味も込めて絶対椅子は出さなかったw
(その当時腰を抜かして倒れた皆さん、ごめんねw)

酒を売らない酒屋

兎にも角にも、超イケてる(と思ってたし実際忙しかったw)立ち飲み屋を角打ちスタイルでオープンしたわけだが、オープンしてずっと僕らの頭を悩ませていたのは「焼酎の確保」だった。
その当時お取引していた酒屋さん(今もその酒屋さんとバリバリです)は、かなり銘柄も在庫数も強かったので、かなり迷惑をかけながらも色々と僕らのために在庫確保に苦心してくれた。しかしながら、空前の焼酎ブームである。お客さんが全員焼酎飲む。最初ビールで後ずっと焼酎。なので、当然モノは少なくなるわけだ。
だから僕らは少しでもお客さんに喜んでもらおうと、横浜の有名な酒屋さんにバイクで駆けつけ焼酎を買い集めるんだけど、そこの酒屋さんは焼酎売ってくれないの。今でも忘れない、あの一言。

「お前んとこには酒は売らないよ」

衝撃だった。
酒屋さんは酒を売るところだと思ってたのに、酒が買えない。

サンチェス:「じゃあ、何だったら買えるんすか?」
酒屋のオヤジ:「全部ダメ」
サンチェス:「お願いします!1本だけでもいいんで」
酒屋のオヤジ:「ダメなもんはダメ。絶対売らない」

今となれば、酒屋のオヤジの気持ちもちょっとは分かる。
「突然来て流行りの焼酎ばっか買って行きやがって。もう焼酎の話すんの飽き飽きなんだよ。」
造り手も、売り手も、買い手も、ナイナイの矢部っちの一言によって始まった空前の乱痴気騒ぎに完全におかしくなってたんだろうな、と今ならちゃんと振り返る事ができる。しかしね。名前は出さないけど、〇〇酒店と〇〇屋さんよ。感じ悪かったぜ、その当時はよ。

というわけで開業して2年も立たない内に、完全に焼酎ブームに嫌気が指してしまった僕らは次なる一手を打つことになる。
今でもお世話になってる酒屋さんのボスに「もう焼酎疲れました。何か他にないすかね?お酒」と相談すると「あるよ、間違いないのが!」とニヤリとするではないか。

それが「日本酒」だった。
それが僕と日本酒の出会いだ。

→角打ち物語②に続く

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