明易           289-5/21Ⅹ

     


     明易や三時に起きて本を読む

 これは俳句と言えるのか。単なる説明であろうか。ちょっとなおしてみる。

     本読んでほどなく消灯明易し

 消灯は、「(就寝のために)灯りを消すこと。」と辞書にはある。では、これはどうだろうか。

 

     本を読む照明落とす明易し


 年に数回異常に早く目が覚める。大抵暖かくなってからだ。寒いときは目が覚めてもふとんにはいったままでいるとまた眠ってしまう。暖かくなってくると、早く起きてもすぐに辺りが明るくなる。明るくなってしばらく経ってから夜が明けたことに気づき、灯りを消す。きょうは、起きてすぐにカーテンを開けていたので、日がさしてきたのがすぐにわかった。今はこんなに早く夜が明けるのかと思った。殊の外、明易しである。「明易」は早起きすると使える季語だ。

 起きて本を読んで洗濯や座禅もどきなどをしているうちにまた眠くなり六時半ころまたふとんにはいり寝てしまった。

 なんかこれわかる。↓

足洗ふてつい明け易き丸寝かな
芭蕉 「真蹟拾遺」

 やっぱり眠いよねと言いたくなった。丸寝は、「衣服を着たままで寝ること。」である。着替えて、朝、顔を洗うように足を洗うのだろうか。早く起きたものの眠くなって衣服のまま寝てしまったということかと思った。  

 それとも、夜通し旅をしてきて宿について足を洗っていたら明け方につい眠ってしまったということだろうか。

 わかった。旅をしてきて宿にたどり着いた。足を洗って寝たら明け易いからすぐに朝になった、ということか。だったらどうして丸寝なのか。明け易いのを見越しての丸寝なのか。考えれば考えるほど疑問が膨らむ。当時の習俗を勉強した方がよさそうな気もする。

 見つけた。 こちらの解説で納得した。

旅の宿について、足を洗い、疲れにまかせて旅姿のままごろんと横になり、うとうとしたと思ったらもう夜が明ける。夏の夜の短さ。

 疲れていたのか。

 最初の印象とはまったく違った。またしても自分に寄せてとらえていた。毎日歩いている芭蕉ということをすっかり忘れていた。


異存・難色の発声(仮想)

 反射的な反応は依然として続いている。なんとか発声は抑え込みできてはいる。この反射的な反応を恣意的にコントロールしていくことがこの取組みを達成する重要なポイントとなっていくであろう。


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