お酒に壊された友情

アルコールは既存の体制を破壊的にイノベーションする力があり。
大麻には、宗教的でアート的なイノベーションの性質があるように感じる。

アルコールが作ったのはWindows
大麻が作ったのはMac

などと比喩されている。

アルコールは嗜む程度ならば、大して問題は無いが、アルコールを摂取することが飲酒の目的になった時点でアル中であると思った方が良い。
アルコールは合法で大麻は違法ですが、近年大麻よりもアルコールの方が人間に対して害があるなどと言われています。

私はアルコールと大麻、両方を摂取したことがある人に話を聞いたことがありますが、みんな口を揃えて大麻でお酒のようなトラブルを起こしたことはまずないしそんな気にもならないほど大麻はダウナーな嗜好品だとよく聞かされていました。

確かに、私自身多くの飲み会の場に足を運び、また大麻による CHILL に参加したこともありますが、明らかにアルコールの方が、人間がめんどくさくなる確率が非常に高かった経験が多いです。


自覚のない1500万人がアル中in日本


多くの入院中のアルコール依存者は既に末期の患者だと言われており、普通にアルコール依存者というものは自身がアルコール中毒だということを認めないため、病院や周囲に相談することなくそのまま重度のアルコール中毒になるまでアルコールを飲んでしまう、自覚のない1500万人がアルコール中毒予備軍と言われています。

そのためアルコール依存症はすでに生活習慣病レベルで国民病と言っても良いのではないかと思います。

↓こちら↓は簡単な診断ができますので、ご自身や身近な人を対象に診断してみることをお勧めします 。
(実はただ酒癖が悪いだけではなく、それがアルコール依存症の症状であったりします)
アルコール依存症のチェック表
http://alcoholic-navi.jp/checksheet/


残念ながら「アル中は不治の病」なんです


アル中は不治の病で、入院で回復し、数年に亘って断酒に成功していたとしても、一口でも飲酒すればたちまち元の木阿弥に戻ってしまいます。
さらには進行性の病気なので、さらに症状が悪化していきます。

アルコール依存症は「生き方の病気」であり、経済的な貧困、精神的な貧困双方からの立ち直りが必要で、それは本人ばかりではなく巻き込まれた家族の立ち直りも含めてのことです。
健康と貧乏にならない程度のお金があれば「幸福」という考えに例を取ると、お金があるのだから お酒をいくら飲んでも困らないし、困らなければ依存症への理解は得られなく、やがて心身は破綻 して死を迎えます。


「お酒好き」と貧困


アルコール依存と貧困を語る時、経済的貧困ばかりでなく精神的貧困を感じます。
心の貧困は、安心・安全・ やすらぎが得られないときにあらわれます。
結果として酒に縛られますが、本人だけではなく負の連鎖が子供 から孫へと限りなく連なっていきます。
ですから、本人だけでなく家族や地域・職場など日本で 3000 万人が被害をこうむっているわけです。


『飲酒と貧困 には、世界の貧困問題と不可分である。世界的に、学歴が低く、低所得、失業中などの人において 飲酒率が高いことが多数の統計的研究によって裏付けられている。複数の研究では、貧しい国の中には家計の 約 18%が飲酒に費やされていることもあると指摘されている。そのため、少ない所得から食費・健康管理費・教育 費などがさらに削られ、栄養不良・医療費増大・早死・識字率低下をもたらし、社会階層の固定化に影響してい る』(WHO による)。


飲酒量は貧困率と正の相関があり、1世帯あたりの貯蓄額と負の相関があります。
つまり、貧困率が高く貯蓄額の少ないところでアルコールの消費量が多くなるということです。
統計的には、「楽しさ」よりも「辛さ」こそ酒を飲む大きな動機と言えそうです。
「緩やかな自殺」とも言い難い状況です。


平成の依存症ビジネス


景気が悪くても、どんなに金がなくても、それに依存している人は金を使う。

生活保護でもらった金の9割くらいをパチンコ・酒・タバコに使ってしまう人がいるのと同じで、どんなに金がなくも依存症の人はそれにお金を使ってくれるから、不景気なときでも依存症ビジネスは儲かります

もちろんメーカー側に悪気はないですが、WHOが、お酒を飲んでいる広告は規制するように言っているほど、広告効果は高いです。

日本は世界有数のパチンコ・酒・タバコに寛容な国家との指摘があります。
依存症ビジネスは、「貧者の税金」、「愚者の税金」として、日本においては国の財源となっているのが現状です。

昔、社会的にうつ病が表立ってきて自殺者が年々増えていく中で、日本のテレビドラマでこんなセリフが使い回されていました、
「必要のない人間などいない」

今になって考えると、この抽象的なセリフの背景は、「死にさえしなければ、社会的に成功しても失敗しても税収を見込めるから必要だ」とも考えられます。


ワクワクしなくなった友人


“酔って記憶をなくす”とよく言いますが、その状態が“病的”と表現されています。
それを言ったら僕の友人は毎週飲めば必ず病的酩酊です。
酔っ払いならよくあることだと思われていることも、実は病的な状態だったりするのです。

僕はもともとお酒を飲まないので、その友人は近くのスナックや飲み屋に行き、毎日のように「ストロングゼロ」を飲んでいるようで、久しぶりにあった彼は、少量のお酒でも記憶を無くし、部屋で立ち小便をし始めます。

酔うと誰彼構わず絡む彼は、飲み友達からは愛されています。

かつて彼とは十代の頃から多くの探検や冒険にでかけ、会えばいつでもワクワクする出来事を企てていた友人でしたが、ここ3年ほどで様子が変わり、もともとお酒は好きなようでしたが、話していると飲む頻度やお酒絡みのトラブルが多く、話の内容もお酒に関わることが多く、かつてのワクワクを共有できる彼では無くなってしまったことにアルコールに対して憤りを感じました。

おそらく、彼のような事例は世間にはありふれた光景なのではないかと調べた結果、アルコール依存症は近代工業化の総中流社会生活をベースとしておきながら、仕事において人手が要らなくなっている現実に合わせて、アルコールへの逃げ道が用意されていることが浮き彫りになり、社会的な格差ではなく動物的な格差まで生み出してしまいそうな危機感を持ちました。


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