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懺悔したい冬のできごと

懺悔したいことがひとつある。

あれは小学4年生の冬。雪がかなり積もり、みんなで雪遊びをしていた時のこと。

私たちは近所の駐車場(しかし車はほとんど止まらない)に集まっていて、雪合戦をしたり雪だるまを作ったり、とにかく滅多に降らない雪をエンジョイしていた。

一通り遊び終わって、どうしてか「滑り台を作ろう」という話が出た。いいね!とみんなで雪をかき集め、滑り台というよりはただの坂を必死に作っていった。

滑り台作成が終盤に差し掛かり、私たちはとにかくあと少しの雪を欲していた。少し遠くからかき集めればそれなりの量を手に入れられたはずだが、それよりも隣の家の前に鎮座するウルトラマンの雪像に目がついてしまった。

どういう会話で、誰がどのようにそうしたかは定かではないが、とにかく私たちはウルトラマンの頭をもぎ取って、滑り台に加えてしまった。ウルトラマンの頭だった雪の塊が滑り台に取り込まれていくあの光景は忘れられない。

それからのことはよく覚えていない。多分完成した滑り台で一通り遊んで満足したのだろう。私もその時はウルトラマンのことを忘れて楽しんでいた気がする。ウルトラマンを壊してしまったことより、雪遊びの楽しさの方が勝ってしまっていたのだ。

しかし、その日の夜(もしくは次の日)、再びあの駐車場の前を通った時、真っ先に目に付いたのは必死に完成させた滑り台ではなく、無惨に頭を失ったウルトラマンの雪像だった。当たり前だ。私はどうしようもない罪悪感に苛まれた。どうにか修復できないものかと考え、自分の技量では無理だとすぐに諦めた。

それから10年ほど経とうとしている今でも、どこかの家の前に作られた雪だるまやら何やらを見る度に、私は一家の冬のささやかな楽しみを奪ってしまったのだということを思い出す。

私にとってトラウマとも言えるこの出来事だが、本当にトラウマなのはウルトラマンを作り上げたあの家の方々であろう。少し前まであった超大作が消え、代わりに隣の駐車場にはやたらデカいただの傾斜が作り上げられている。これがウルトラマンに勝るほどの大作ならまだ良いかもしれないが、そこにあるのは低クオリティの坂だ。悔しさは計り知れない。

本当に申し訳ないことをしました。ウルトラマン、めちゃくちゃ上手でした。

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