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【5月12日。第30回(最終回)、金春康之演能会@奈良春日部国際フォーラム甍能楽ホール】

日々あわただしくしていて、3月の一時帰国でもっとも驚いた事柄をブログに投稿できずにおりましたので。
ベトナムも連休中の今日(今日は南部解放記念日です)、ゆっくりした時間の中で書くことにしました。

それは、金春康之氏からの一通の手紙でした。

手紙の最後に平成6年2月吉日とありましたので、もう少し早くに届いていたのでしょう。
いつも春に康之先生の演能会がございますので。
ちょうど一時帰国のタイミングで、拝見することができればと、真っ先に手紙を開封するのですが。
なかなかタイミングが合わず、一度だけ、一時帰国の折に拝見したことがあります。
今回の手紙も、期日が合えばと急いで開けたところ、5月12日の第30回が最後の演能会だとあって。
たいへん驚くとともに、とても残念に思いました。

「本年、私は74歳となり、「金春康之演能会」は第30回を迎えますので、これを機に、能の舞台活動を引退することにいたしました。」

「今、舞い残したと思う曲はなく、もう一度と思った曲はそのようにしてまいりました。これから先を見通してみますと、自分が美だと信じる世界を表現するための諸々の条件が揃わなくなると感じましたので、第30回の演能会を節目として引退することにした次第です」

80台でも、90台でも舞っておられる方はいらっしゃいますが。
年齢やお体のこと、心持ちなどは個人差がございますので。
74歳と言うのがまだまだのような気がするのは、手前勝手だとは分かっておりますが。
もう康之先生の舞が見られないと思うと、寂しくもあります。

最初に康之先生にお会いしたのは、金春欣三先生率いるアメリカ公演の時で。
あの時はみな若く、血気盛んで勢いがあり美しく、私も31歳でした。
ちょうど公演中に康之先生がお誕生日を迎えられ、みんなでサプライズパーティーをしたこと、プレゼントを受け取られた時の康之先生の笑顔を、今でも昨日のことのように思い出します。

もうずいぶん昔のことですので、記憶違いかも知れませんが。
桜間金太郎先生の奥様がご用意されたプレゼントを、公演の団員の中で一番若かった(と思う荷物持ちの)私が、渡すお役目を仰せつかったのです。

それから20年後。
奈良で行われた平城遷都1300年祭において、私が主催・ゼネラルプロデューサーを務めた日中合同演舞「能楽、昆曲、和太鼓」の舞台
【zhu JI SI AONIYOSHI 祝祭祀 あをによし】にて。
金春康之氏に、「羽衣」を舞っていただきました。

半能ではありましたが、優雅で静謐な舞は、続く昆曲の躍動的な舞台とは対照的に、観客の皆様の心を打ったのではないでしょうか。

その後もたびたび、康之先生の舞台を拝見させていただいており。
私自身は撮影をさせていただいたことはございませんが。
いつも康之先生を撮影していらした写真家の方たちは、今はどうしておられるのでしょうか。

その写真家の方たちとの交流も、懐かしく思い出されます。

もうお席は満席かと思われますが。
もし奇跡的にお席がございましたら、ぜひ、康之先生の最後の舞台をご覧になってくださいませ。

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