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194/365 アラフィフおさなが見つけた「夢の通り道」 その4 最終章あれから1ヶ月、、、

立っていました。
そうか、、、もうあれから1ヶ月、、、?
本当はもっと早い時期に感想なども書きたかったのですが、
なにぶん、自分でも予想以上の高揚感というのでしょうか。
いろいろな感情が溢れすぎて、どこからどう書いたら良いのかわからず、
まずは心をしっかりクールダウンさせてから、書いた方が、、、
と思い、いわば思いを寝かせておいたつもりが、、、
あれ?
気がついてみれば1ヶ月も経過していたという。
先日、講演の模様をおさめたDvdとBlu-rayが発売になったというお知らせを劇団の各所Snsで見て、
わっ、そろそろこれは、、、というわけで、
私なりのこのシリーズのまとめと言いますか、、、
を綴っていきたいと思います。


私は講演の楽び、7月16日に娘たちと観劇しました。
このひは確か梅雨明け直後、
都内でも35度以上の猛暑日に見舞われ、
私たちも道中汗だくになりながら会場である板橋区民文化会館へ向かいました。
到着すると、「劇団ふぁんハウス」と書かれた幟が至る所に。
思わず娘たちとパシャリ。
中へ入ると、早速受付のオランティアの方が声をかけてくださり、
活字、そして私は点字のパーフレットをいただき、
さらにこちらも初めて、、、音声ガイドを聞くためのラジオもお借りして、ホールへ。
実は今回の会場、板橋区民文化会館は、
20年前、「人生げい夢〜夢の通り道」の初演が行われた会場でもありました。
しかし私はそのことをすっかり忘れていて、
団長が毎週綴っていらっしゃる稽古日誌?
(劇団ホームページからご覧いただけます)
の中で、そのことについて触れていらっしゃった記事を見てやっと思い出したという。
いずれにしてもこれもなんというか、奇跡的な巡り合わせ、
あくまでこれは私の感覚なのですが、
何かこう忘れ物を取りにきた、、、
そんな感覚が。
というのも、
私はその初演の公演を終えてから諸事情があり、劇団から離れることになったからです。
そしてそれは同時に音楽活動そのものから離れることにもなりました。
その間に仕事、結婚、出産、子育て、、、
そして、、、
と重ねている間も、
ふぁんハウスの皆さんは、様々な経験を重ねながらも、
「夢、勇気、希望」をブレることなく、届け続けていたということに。
今だからこそ素直に言えるのですが、
これは本当にリスペクトしかないなと思うのです。
もちろん私もことあるごとにホームページなどでその様子を伺っていましたが、
やはりその離れた当初の感情がお互いにとってあまり良いものではなかったというのもあったのと、
実際のところ子育てで忙しかったというのもあって、
あるしゅ「過去のもの」という感覚で見ていたような。
なので、楽曲、「夢の通り道」に対しても自分としてはどう表現したら良いのか今もわからないのですが、
なんとなくモヤモヤとしたイメージが残っていて、
「自分が作った楽曲」という感覚があまり持てなかったというのが正直なところです。
そういうこともあり、娘たちにもこれまでこのことについては一切ふれることなく、これまで過ごしてきたのですが、
その思いの一方で、
団長をはじめ、劇団員、また講演をご覧いただいた方からはありがたいことにご好評をいただいていたようで、
実は一度、今から10数年ほど前に、
これまでの公演で歌われた楽曲を集めてのライブショーというのが行われ、
その時にもお声をかけていただき、「夢の通り道」を歌唱させていただいたことがあり、
その時点である種の「雪解け」的なことにはなったものの、
その当時、自分もまだ娘たちが小さかったのと、そのごほどなくして怒った東日本大震災、、、
そこから再びそれぞれに、、、という中、
やはり自分で言うのもなんなのですが、
この楽曲にはもしかしたら何らか不思議な力があるのかもしれません。
こうして再演するということになったタイミングで、
しかも私は私で長女の進学について悩んでいた5月のあるひ、
団員である、
鈴木千秋
さんからxのDMを通じてご連絡をいただき、
最初こそどうしようかと悩みましたが、
娘たちにそのことを話したところ、一緒に行きたい!と。
この返答が決め手となり、実に20年ぶりに稽古場に伺ったのが6月中旬のこと。
ちょうどそのひが発の通し稽古だったというので、これまたグッドタイミング。
そこから1ヶ月、、、
間違いなく皆さんギアを上げてくるだろうなと思っていましたが、
いやいやいや、、、
いざ始まってみたらとんでもありませんでした。
そこには古びた温泉街の芝居小屋、「高山芸術座」が存在し、
そこに生きる人々の人生が存在し、
生活している。
程なくして私たちもすっかりその世界に引き込まれていきました。
親会社の経営難から、
温泉街に訪れる客も減り、
となれば当然芝居小屋の経営も厳しい中、
それでも「お客様に楽しんでもらいたい。喜んでもらいたい。」と夢を追い続け、
日々芸を磨き続ける彼らの姿は、
まさにふぁんハウスの皆さんの姿勢、そのものとどこかシンクロしているような。
そして度々訪れるピンチにあっても、
みんなで力を合わせて、、、
なにがあっても諦めない。
今こうして書いているものの、果たしてこれらの言葉が合っているのかどうかもわからないのですが、
ものすごい熱量がありながらも、
セリフの間を大切に、、、という繊細さも兼ね備えている。
それは創立当初から団長がおっしゃっていた「役として演じるではなく、生活する」というのをしっかり形として団員の皆さんが落とし込んでいる証とも言えるのではと。
休憩を挟んで2時間強、、、
たくさん笑って固唾を飲んで、
そして、、、
涙して、、、
下手ないいかたになってしまい恐縮なのですが、
大変素晴らしい公演でした。
そんな中、度々歌われた「夢の通り道」。
音楽担当の
Amatias
の優しいピアノ演奏に加え、
フィナーレでは今回アコースティックギターで、
竹本和弘
さんも演奏に参加され、さらに厚みと暖かさがました中、
高山芸術座の歌姫を演じられたお二人、
萱場まり恵
さん、
鈴木千秋
さんの圧巻の歌声にすっかり魅了され、、、
最後は会場全体が暖かな空気に包まれて、、、
ちょっと待ってよ?
えっ?
いったいこの空気感は???
別の意味で「これ自分の作った曲ではない、、、でも確かに自分が作った楽曲なんだよね」となんとも収拾のつかない状況に、、、
そう、ここではっきりと確信しました。
この曲は間違いなく劇団の皆さんのものなんだということ。
確かに自分が書き下ろしたという事実はあるものの、
大切なのはそのてから離れた時点で誰かのものになっていくんだということ。
その曲を何らかの形で受け取って、歌ってくださったり、聴いてくださる方々がいることで、
その人それぞれの物語がそこに生まれ、さらに大きくすてきに育てられていく。
この両者の関係があってこそなんだということを、
20年経過した今、改めて実感として持てたと同時に、
私自身もこの曲のことを心から「好き」と言えるようになりました。
そしてまた少しずつですが、
夢を持っても良いのかな?
そんなふうにも思ったり。
その後のアンケートもうれしく読ませていただきました。
この作品とともにこの楽曲がお一人お一人の心の中で存在させていただけている事実に改めて感謝するとともに、
これからも何らかの折に触れた際に、この作品をまたこの楽曲を思い出していただき、
少しでも皆さんにとっての力づけの一端となれたらいいなぁと願っております。
本当にありがとうございました。


咲美へ
20年前、あなたがたくさんたくさん想いを込めて、たくさんたくさん苦しんで生み出した曲は、
あなたがきっとその当時願っていた通り、
多くの方に愛され、そしてさらに大きく素敵に育てていただきました。
当時は「自分の楽曲難陀!」というのをより強く意識しすぎてしまったことによって、
本来見えるはずだった景色を見ることができなかったのかもしれませんね。
でも音楽もまたお芝居も、時を重ねてこそ、
確実に時間をそしてその時の感情を超えることができると言うこと。
そして、決して自分だけでは作り出せない、受け取った誰かがいてくださってこそ、
人は、作品はそんざいさせていただけて、より輝きを増していくんだと言うこと。
48歳になった私がどれだけ受け止められているかは分かりませんが、
こうして改めて結ばれた多くのご縁に、
そして貴重な経験に、
心から感謝しながら、
いつしかその感謝を何らかの形でお返しできるよう、
日々精進していきたいと思います。
あの頃のようなあなたのようになれるかはわかりませんが、
不器用でも、言葉足りなくても、
それでも、、、それでも、、、
泥臭く私らしい形で、、、
それが今の私、紗凪に課された「夢の通り道」なのかもしれません。


というわけで、結局のところいろいろな感情が溢れすぎて、かなりの長文になってしまいましたが、
これでこのエッセイはひとまず完結です。
ここまでお読みいただきまして本当にありがとうございました。
なお、
劇団ふぁんハウス
様のホームページでは公演当日の様子等を、
様々な形で振り返るとともに、
次回公演についてのご案内も程なくして掲載されるかと思います。
また今回の公演のDvdとBlu-rayが発売になりました。
初めての方もまた講演をご覧になられた方も、ぜひ、、、
劇団ふぁんハウスホームページ↓※

※ これまでのエッセイ、再編集した上で、近々マガジンとしてまとめたいと思っております。
どうぞよろしくお願いします。

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