見出し画像

物語の絵

子育ての風景
読書

子どもの頃から絵を描くのが好きだった。
いや、デッサンとかじゃなくて。
モノの形を的確に捉えるというのは全く不得手で
要するに頭の中の想像を紙の上に吐き出していた。
一番描いていたのが「アリの巣」。
アリの巣の中を想像していくつも部屋を描いておいて
それぞれ食べものをいれておくところだの赤ちゃんがいるところだの
たくさんの部屋の中をひたすら想像で埋めていった。
で、次がロボット工場。
よくわからない機械をいっぱい描いて大きなロボットを作っていった。
その次が家の間取りw(これは多分、アリの巣の人間版だったのでは)
どうも、オタク的子どもだったようだ。
それで親がこの子には絵の才能があるのかもと
水盤に活けた花なんかを描かせようとしたが
そんな「つまらない」ものはイヤだった。
そういうわけで、学校の図画でも写生なんかは興味無く
大好きだったのは「物語の絵」だった。
ある年の小学校の夏休み。
課題で物語の絵を描くことになっていたので
ワクワクしながら「耳なし芳一」の絵を描いた。
芳一が安徳天皇の墓の前で琵琶を弾いているところで
まわりにはいくつものヒトダマが…
するとのぞき込んだ母が
「ヒトダマはこんなに赤くないの」
「もっと青っぽくて、こんな形じゃない」
そんなこと言われたって…
しぶしぶ赤く塗ったヒトダマの上から青く塗って…
…まあ、不気味にはなった。

さてそこで
どうして写生だと思うように描けなくて
物語の絵だと思うように描けたのだろか。
考えてみた所
何かを見て描くときは、そのものを見て・紙の上に描く、よね。
ところが
モノを見て、紙に目を移すと
もう頭の中では今見たモノの姿はぼやけてしまっていて
もう、どんどんとぼやけて歪んでいく一方で描くどころのハナシではない。
モノを見て・紙を見て・モノを見て・紙を見てだけのくり返しでござる。
絵を描ける人との違いはここなのでしょうな。
その一方・物語の絵の方は
画像が自分の頭の中にあるので紙を見るとそのまま目の前に絵があるという
そういう状況なので描けるのですな。
描きながら「ああそうだこういうのもああいうのもあった」と
描くべきことが紙の上に見えるので
そのまま描けばいいので楽だし楽しいのだ。
それにしても・ですよ
クラスの他の人たちが
「アラジンと魔法のランプ」だとか
「ニルスの不思議な旅」だとか
「ガリバー旅行記」だとかで描いている中で
「耳なし芳一」を描いた自分ってw
夏休み明けの教室の後ろの壁に張り出された何十枚もの絵の中で
ヒトダマ浮かぶ暗―い絵なんて一枚きりでしたな。
画像は、こんな絵だったなーという感じで再現。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?