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母の味

90歳に近い姑が子ども時代に何を食べたかというと
「母さんが作ったものといったって」
「ただ、焼くか煮るかしかなかったの」
「ジャガイモをバケツ一杯皮をむいて塩ゆでにしたり」
「買ってきた箱一杯のニシンをさばいて、数の子を塩に漬けて」
「身欠きニシンはトタン屋根に並べて、干して作ってたねえ」
当時はまだ北海道のニシンが豊漁だったのだ。
「あんな表通りに面したトタン屋根、どんだけ汚かったか」
子だくさんでとにかく家族で食べるモノを作るので精いっぱいで
名前の付いた料理といえば、きんぴらだとか鉄火みそだとか
「今みたいに“はいから”な料理なんてなかったよ」
「一体、何食べて生きていたのやら」と笑う。
自分も結婚して料理を作る段になってから
何を作っていいのかすぐにネタ切れになって
ほんのわずかの種類の料理しか作れなくて
新聞に載っていた料理を記事を見い見い作ったくらいじゃ
毎日のご飯にはとても間に合わないから
どうしても同じようなものになってしまう。
今思えば、毎日同じようなものを食べていても
それで自分たちが元気だったら
食べられるだけでありがたいと思うべきだったんだな。
自分が何を食べて育ったのか
姑も覚えていなかったし
自分も覚えていなかった。
それでも何とか育って今に至るのだから
振り返ってみれば・それで正解。
今気に入って座右の銘にしているのは
「やりすごしごはん」
フルタイムで働いていて食べるのが好きという
「ぶたやまさん」のツイッターで出会ったこの言葉を胸に
頑張りすぎるな・生きてりゃまるもうけ
とつぶやいているこの頃である。

思い返せば

自分は高校を卒業した年に母を亡くしている。

それでとうとう
母の料理をほとんど習わないでしまった。

本を見たり人に聞いたりしながら料理は覚えていったが
自分の子どもが大きくなってくるにつれ
基本的な料理を教えるようになってから特に
母の味を継げなかったことを後悔というか負い目というか
そういう気持ちを引きずってきていた。

それが50歳を過ぎたある日
ふと、自分の好きな味というのは
母の味なのではないかと気付いた。
誰が作った料理でも
自分が美味しいと思うものは自分がなじんだ味に近いのだと思う。
人の味覚は子どものころに食べたもので決まるとか。
私の味覚は母の味になっていたはずなのだ。
母の作ったものを17年も食べてきたのだから。

人に教わろうと自分で本を見て作ろうと
自分になじんだ味に仕上げるのだから
結局は母の味にしていたということではないか。

このことに気付いてから
少し、気持ちが楽になった。

そして、自分が親になってひしひしと迫ってきたのは
自分の子どもに料理を教えてやれなかった
母の気持ちだった。

料理2


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