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人を作るもの

阪神淡路大震災のあと
被災地に市民から寄贈された絵本を送ることになり
読み聞かせのボランティアメンバーが荷造りをすることになった。
公民館のホールの片隅に集まって
段ボール箱に絵本を詰めていたところに新聞社の取材が来た。
黒いスーツを着てがっちりしたカメラを首から下げた
新卒らしき若い男性が一人
どうしたもんかと見回している。

「えっと…誰でも知ってるような絵本っていうと…?」

ははあ、「○○や○○などの絵本を被災地に送る作業を…」
てな感じで記事を書くんだな。
そりゃもう、絵本と言えば100くらいするする出てくるけど
常識的に「ぐりとぐら」にしておいた。
「えっと、ぐり?と?…。」
多分、絵本や子どもとは一番遠い時期の人間だろう。

たくさんの絵本が積み上がり、並んでいる間を
カメラを持って歩き回っていた男性は突然足を止め
「あ、ブルーナだ」
「…ママが全部買ってくれた…。」
とつぶやきながら、すうーっとしゃがみこんだ。
ブルーナのちいさな絵本を手に取っている。
絵本の中に入り込んでしまった様子を見て
「ふふ、読んであげたら?」
「そっとしといてあげようね、うふ。」
メンバー同士ささやいて、横目で様子を見ながら作業を続ける。

5分ほど経っただろうか。
男性ははっと気づいてちょっと慌てたように左右を見た。
そして、てきぱきとカメラを構える。

翌日の新聞で「ぐりとぐらなどの絵本を…」という小さな記事を読みながら
大人の中に今も深く静かに染みこんでいる絵本の世界を思った。

色々なことが積み重なっていく人生は、樹木のようだと思う。

生物で習った「成長点」。
木や草が伸びるのは、つまり細胞が増殖するのは
枝の先端部の芽、幹や茎の外側の部分で
特に枝の先端部の芽が成長点。(みんなー、ここテストに出るぞー!)
例えば生きている木の幹に傷をつけたら
木が高く伸びても傷の高さは変わらない。
ただ、幹は太くなっていって
傷は樹皮に巻き込まれて埋もれていく。

だから厳密に言うと
大きな木でも生きている部分は先端部の芽と、皮の内側で
あとは死んだ組織だ。
でも、その死んだ組織は水の通り道として
また木自身を支える身体として
「生きて」いる。

何かこう、昔の思い出とか失敗とか
過去の色々な出来事はもう決して変えられないが
もう「動かない」からこそ、そういうものが
今の自分を支えているのではないか。
同時に
人間の成長点は「今・この時」だと思う。


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