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人に合わせる

読書

川越宗一の「熱源」文藝春秋 を読んだとき
激しい歴史の流れの中で登場人物たちと一緒にもみくちゃにされながらも彼らの「熱」がぐいぐいとこちらに来るのを感じ取って…
そういう物語だったのだが
一つ、それとは別に
トンコリというサハリンアイヌの弦楽器を弾いて歌おうというときに
まず

歌う自分に楽器の音を合わせる

という事に強く惹かれた。
トンコリは弦楽器なので弦の調節で音の高低を変えられるのだ。
現代人の自分は、いつの間にか
まず絶対的な音階があって、その音階に合わせた楽器に人間が合わせる
と思い込んでしまっていたのだ。
そもそも音楽は人が生み出したもので
そして楽器という音楽専用の道具を作って
楽器の音を合わせて合奏したり、記録したりするために
音階というモノを作り出したのだと思う。
最初から楽譜があったんじゃなくて。
音楽大学の人が民謡の採譜に行ったときに
そこの人が歌ってくれているうちにだんだん調子が乗ってきて
少しずつ音が・いわゆる「キー」が上がってきたのだと。
そしてこれでお酒が入ったりするとますます音は高くなるしテンポは速くなるしで採譜するのに苦労したのだと。
うんうん、そもそもが楽譜通りに歌うモノじゃないからね。

ちなみに川越宗一を初めて読んだのは「天地に燦たり」文藝春秋 
これを読んでファンになった。

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