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買い物という社会行動

昔々、お話会のボランティアをしていたころ
ボランティア関係ということで色々な募集も回ってきていた。
「高齢者のお買い物の付き添い」というのもその一つで
車いすの高齢者がスーパーなどでお買い物をするのに付き添うのだと。
ああ、こういうの、見たことがあった。
車いすのおばあさんと一緒にお店で買い物をしていた人。
おばあさんの方にかがみこんで品物を見ながら話をしている。
お買い物というより、品物を眺めて選んで楽しんでいる感じで
付き添いの人に欲しいものを手渡してもらって、カゴに入れて。
おばあさんは、本当に生き生きと楽しそうだった。
(車いすに乗っているのはほぼおばあさんだった)
ちなみに
初めて目にしたときは親子?とも思ったが違和感が。
付き添いの人の丁寧さから、介護の方かボランティアか、と。
実の親子だと、色々と容赦ないのですぐわかるのである(震
そういえば
あるお坊さんが山のお寺での修業時代のことを書いていた。
社会と切り離された環境では自分の娯楽などはもちろん無いのだが
それでもお寺の購買で買い物をするのが小さな楽しみだったと。
買うと言っても、消しゴムくらいなものなのだが
どの消しゴムにしようかと選んで、手に取って
お財布からお金を払うのがとても楽しみだったと。
で、引き出しに消しゴムが増えてくる・・・。
ああそうだ、これは
子どもの頃、近所の文房具屋さんで消しゴムを買ったのに似ている。
子どもの頃は自分でお金を出して買い物をする機会があまりなくて
ノートや定規など、学校で必要な文房具は親がお金を出したが
消しゴムはなぜか週に20円のお小遣いの中で買うモノだった。
親がお金を出して買ってくれるのと
自分のお小遣いで買うのとでは
絶対に・何かが・大きく違っていた。
たとえ親からもらったお小遣いでも・もらったらそれは自分のお金で
自分のお金でモノを買うということは
自分が直接社会と触れ合う機会なのだろう。

自分で使えるお金を持っていること
自分のお金の使い道を自分で決められること
自分の欲しいものを買えること。
これは、子ども時代を通り抜けてしまうと忘れてしまう
とても大事な「自由」だ。

自分でできることが少なくなって、外出もままならなくなったお年寄りは
いわば子どものように買い物の機会も少なくなってしまう。
自分のお金で欲しいものを買う、というのは
自分が社会の中で生きている実感を持つために必要不可欠なことなのだ。

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