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私が・泳げるように・なったワケ

勉強

小学校のときは泳げなかった。

ところが、小学6年生最後のプール授業で
それもプールから上がる直前に
「浮く」ということができた。

それまでは水に顔をつけるところまではできたのだが
耳まで水が来るともうイケナイ。
どうしてもそれ以上頭を水に沈めることができなくて。
だから息を止めてのバタ足が限界。
当然、数メートル進んでおしまい。

小学校最後のプールの日
それもそろそろ終わりかなという頃になってふと
頭までもぐってみようと思った。
プールサイドにつかまってそうっと身体を低くしていくと
頭のてっぺんに波を感じた。
「あ、頭までもぐったぞ。」
そして何となくそのまま身体を低くしていくと
足が底から離れた。
!?
縮めたヒザをかかえてみると
身体が水中でぷわぷわと浮いていて
波が頭のてっぺんでちゃぷちゃぷしていた。

沈まないんだ!

翌年、中学校のプール授業では
浮く、というか沈まないことが分かっていたので
あとはテキトーにやっていたら平泳ぎになっていた。

そして夏休みのプール解放で
できるだけ足を底につけないで泳ごうと思った。
プールサイドにタッチしては引きかえし、遊泳時間一杯で14往復半。
泳いだ距離は725メートルになっていた。

大正生まれの母は「浜」の人で、いや横浜じゃなくて
北海道の田舎の海辺で育った人だった。
昔々の浜の子どもたちは
もちろん徒党を組んでのわんぱくどもで
母はその男の子たちに舟から落とされて泳げるようになった
と言っていた。
(良い子はマネをしないでくださいね)
もちろん年かさの子たちが見ていて
危なそうだとなれば助けてくれるのだ。
母は幸いというか、バタバタもがいているうちに泳げていたのだと。
もちろん、それはクロールなどではなく
おそらくは浮いて顔を上げている状態、立ち泳ぎだったのだろう。
立ち泳ぎができれば、次になんとか浮いて移動する段階に進める。

さてそこで最近気が付いたことがひとつ
母が落とされたのはもちろん足の立たない場所だったはずだが
思い起こせば自分が立ち泳ぎができるようになったのは中学生の時で
それはプールが小学校の時より深かったからではと。
思えば小学校のプールはとても浅かったのだ。
それは全学年が使うプールなのでその都度水深を変えるわけはなく
とにかく1年生でも使えるように浅い方に合わせていたのだろうと。
浅いと、面かぶりのバタ足も含めて「泳ぐ」にはいいのだけれど
それでも泳げないような子がバタバタすると底に足が当たってしまった。
これでは立ち泳ぎは無理なのである。

というワケで
自分の泳ぎの練習はまず小学校のプールで水に親しんで慣れて
少なくとも水に顔を付けることができて
水がかかっても平気になってから
最後の最後に完全水没することで沈めば浮くということを「発見」して
そこから中学校で何となく立ち泳ぎができるようになって
あとはそのまま進めばよいと適当に平泳ぎになって
最終的にせわしくかいていた手をゆっくりにして
手でかく回数を半分にして・足の蹴りと同じ回数にしたことで
余裕を持って楽にむしろ早く進めるようになったのだ。
深い、と言っても自分の胸くらいの水深だが
すぐに足が立つ安全で安心なプールじゃなくなったことで
逆に、水に身体を任せることができたのだなあ、と思うのだ。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
というのは、ホントでござる。

さてそこでさらに気づいたこと。
ウチの昭和一桁の姑は泳げない。
海に遊びに連れて行ってもらったことはあったが
要するに泳ぎを教えてもらったことは無かったし
泳ぐ機会も無かったのである。
そうだ
姑の時代には学校にプールなんて無くて
近くに泳げるような水辺も無かったのだ。
自分が通った小学校も中学校も公立だったがプールが付いていて
夏休みには授業じゃなくて使えたのが大きかったのだ。
自分の母は浜の人だったので泳げたのだ。

ああ、そういうことだったのか。
学校教育は種々様々な機会を与えてくれていたのだ。

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