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お墓参り

子育ての風景
勉強

子どものころ、家族みんなで墓参りに行ったものだ。
市内の墓地だったので、お盆に色々お供物を載せて
それを抱えて家族でぎゅうぎゅうと車に乗り込んで。

このお供物の用意がなかなか楽しかった。
思い出せるのは小豆のお赤飯に茶ブドウ、ゆでたトウモロコシ
あと、きゅうりとなすに割り箸で足を作ったっけ。
庭のブドウの葉のきれいなのを選んで採って
それを洗って丁寧に水気を拭いてお赤飯などお供え物を盛った。

お墓に着いたら井戸のあるところに行って細い手桶に水を汲む。
手押しポンプが面白くて、いつももっと汲み続けたかった。
墓石に水を掛け、草を取って
みんなでお線香を立てたり、ろうそくをともした。
マッチで火をつけたくて駄々をこねたっけ。

掃除が終わると
お墓の前にみんなで並んで手を合わて。
なんだか照れくさくて下を向いて笑いをこらえていたものだ。

お参りが終わると、ブドウの葉に盛り付けたお供物を
みんなで少しずつ分けて食べた。
そうか、あれはご先祖様と一緒に食べていたのだ。

死者もこの世に帰ってきて、みんなと一緒に過すなんて
ホントに優しいことだと思う。
あ、盆踊りもそうだな。
この事を大学でスペインの留学生に伝えると
「日本人は死者と友好的だ」と言っていた。

そして大人になってから。
墓参りの折、よそのお墓を眺めながらぶらぶら歩く。
墓石の横、墓誌には名前とともに没年が記してあって
古い墓の墓誌には若くして亡くなった方が少なからず・・・
十代で亡くなることが珍しくは無かったのだ。
子どもの頃にも見ていたが
昔は若くして結核で亡くなる人が多かった
それでキリスト教に入信する人がいた
という話を聞いてわかったような気がしていたが
子どもの理解にとどまっていたというのは大人になってからわかることだ。
姑の実家の墓誌にも
17歳と19歳という文字が刻まれていて痛ましさが胸に迫る。
新しい墓誌と比べるとその数は圧倒的だ。
姑の昔話には
知り合いやら近所の人やら
若くして亡くなった人たちの話が出てくる。
清潔な水道水や下水、調理器具、冷蔵庫
そして、予防接種には本当に感謝しなくては、と思う。
じいちゃんばあちゃんの時代では
人生五十年というのがウソではなく
今時の人間が考える人生よりもずっと短い人生設計を建てざるを得ず
ぐずぐずと足を踏み出すのをためらってはいられなかったのでは、と思う。
大人になるのが早かったのだ。
墓誌の没年を眺めていると
世の中と人生が、大きく変わったことが実感できる。

墓参りに行くと大抵は
連れだってお参りするお年寄りや
ベビーカーを押した若い家族など大勢の家族連れで賑わっている。
こうして思い出して・思いをはせてくれる人がいてよかったね、と思う。
自分の家のお墓でも自分が会ったことも無い人が眠っている
というか、ご先祖様の方だって
こんな人間が出現して・あちこち恥をさらして生きていくなんて
夢にも思わなかっただろうな。

墓参りの日には
自分の人生の範囲を超えていろいろ考える。


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