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ひとのこころね

先日近所の大きな交差点に花が供えられていることに気が付いた。
最近そこで死亡事故が起きたのである。
こういうお悔やみの形は洋の東西を問わず世界的に多いもので
著名な人が亡くなったり何かの大事件や事故があると・そこは
山のような花束や飲み物や人形や風船やカード等々で埋もれるのだ。
さて
お彼岸が近くなるとスーパーではお供え物の売り場がにぎわってくる。
そのお供えについては

墓の死人が供物を食べたということは古来聞いたことがない

と、孔子が「礼記」の中で言っている。
お供物を供えるのは肉親や先祖を敬う気持ちを表す「カタチ」なのだと。
また、しきたりにそって葬儀を行うのは
カタチ通りにすることで悲しみすぎて心が破れてしまわないようにするため
とあって、なるほどなあ・そうだよね、と大きくうなづいてしまった。
孔子は先祖を祀るしきたりを正しく守るよう若者達を教育していた人なので、このような「ミもフタもない」言い様を意外に思ったものだ。

孔子といえば「論語」が有名だが
「礼記」を読んでみて、孔子の「礼」のココロの基本がわかった
…ような気がする。孔子は人間をわかっていたのだ。

まあ何にせよ凡人はカタチから入るのが無難だと思う。
そしてできれば
そのカタチの意味を分かっていたほうがいいと思う。

ちなみに「礼記」は、留学生にちょっと聞かれたことがあって
聞かれたところだけ確認するつもりが
解説書を一冊全部読んでしまったといういつものアレだ。

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