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絵本で学んだコミュニケーション

以前、コミュニケーションのセミナーをのぞきに行ったことがあって
テーマは「プレゼンテーションのための非言語表現」
講師は世界的な人形遣いの沢則行氏。
ざっくりまとめると

★頭ばかりで考え込まないで身体を使ってみようよ
ほらっ、まず動いてごらん♪
★何事も場数だよ

だと受け取った。(個人の感想です)
実際、人間はコミュニケーションを言葉だけで行っているのではなく
実のところ言葉以外の部分の方がずっと多く
本当は言葉以外の部分の方がより強く働きかけていると思う。

自分もアマチュアながら
子ども達に絵本や紙芝居や人形劇を見せたりする
いわゆる「よみきかせ」のボランティアを8年やっていたことがあって
そのメンバー10名ほどはほとんどが
子持ちのまだ若かったり元若かったお母さん達。
月に一度くらい集まって互いに読み方を見合って練習していたが
あるとき、メンバーの一人がサングラスをしてきた。
掃除中にモップの柄が顔に当たって「パンダ」になってしまったという。
サングラスをはずすと、あーららこれは「パンダ」だわ。
その人は恥ずかしいからとサングラスをしたままで
絵本を見せながら読み始めたのだが、なんだかいつもとずいぶん違う。
いつもは読んでもらっているこちらが「うまいな~」と悔しくなるのに。
というか、彼女の声がこちらに届かなくて
読んでもらっている気がしない。

一緒に見ているメンバーもそう感じたと見えて
首をかしげたり「あらあー…」とつぶやいたりするうちに気が付いた。

「サングラスで目が見えないからだ!」

図らずも、アイ・コンタクトの大事さを再確認したできごとだった。

読み聞かせでは
読み手は子ども達と絵本や紙芝居をはさんで向かい合う。
子どもは絵を見ながら読み手の声をきき
ときどき読み手と目でやり取りをする。
「こわいねー」「おかしいねー」「よかったねー」
絵本と子どもと読み手が一方通行の押し付けではなく
気持ちのやり取りをする「輪」を作るのだ。
やりとりが「輪」になるということが
コミュニケーションが取れている、ということなのだ。

コミュニケーションが大事だ重要だと言われる割に
うまくいかない話しか聞こえてこないような。
コミュニケーションというと
「正しく伝える」ことと勘違いされることが多いけど
実はお互いにうまく行くように
気持ちや情報を「やりとり」することで
これが結構難しい。
時と場合と相手と自分に合わせてやりとりすることだから。

今までの色々な場面を思い出して考えてみると
コミュニケーションがうまくいっているというのは
お互いに敬意を持っているときではないかと思う。

例えば憤懣やるかたなく一人で喋りまくっているとか
小言を言い続けて口答えされようものなら怒り狂うとか
ひたすら一生懸命に何かしてあげるとか
これは一方的に相手に押し付けて流し込んでいるワケで。
どれも相手に敬意を持っていないと思うのだ。
たとえ相手のためにと思って善意でしていた、としても
それは自分がやりたくてやっているだけなのだ。

敬意というのはえらい人に対して持つものではなく
親子でも同僚でも近所の人でも昔の人でも
相手を軽んぜず・バカにせず・ありがたがらず・怖がらずに
一人の人として見るということだ。
それは図らずも態度として・しぐさとして・表情として現れる。


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