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歩けるということは歩けるというだけでなく

ウチのおじいちゃんは体重があるのと運動不足とで
やっとこさで歩いている状態だったのが
リハビリ施設の「体験」に行ってみたら
数回で格段に軽く歩けるようになったことがあった。
というワケで
改めて「歩く」ということを考えてみると
歩く、というだけならそれほど力を使わなくてもいい。
足で体重を支えられれば、あとは「はずみ」で足を前に出せるから。
ゆっくり・小さく最初の一歩が出せれば
あとは体重移動だけで・ほぼイケる。
身体を左右にゆすりながら、「えっちらおっちら」という歩き方だ。
ちょっとした傾斜に置くとあとは勝手に歩いていくおもちゃと同じだ。
しかし、急に向きを変えたり・止まったり・歩き出したり、は
それなりのエネルギーを必要とするので大きな負担となる。
慣性の法則というヤツだ。
毎日散歩をしているから運動は足りている
という人は、ちょと注意した方がいい。
平坦な道をぶらぶら歩くだけなら大した労力は使わないから。
逆に
とうとう歩けなくなった、というときには
身体に重大な変化が起きたように感じるが
実は歩くという運動能力の範囲はずいぶんと広くて
やっと歩くのと競歩でぶっ飛んで歩くのとでは
三輪車とナナハンくらいに違う。
ぎりぎりで歩けていた場合には
バランスや筋力のほんのわずかの衰えで歩けなくなるものだ。
だから
「まだ」歩けているからと油断しないことと
「もう」歩けなくなったからと悲観しすぎないことだ。
運動能力的にはその差はわずかで
そのわずかの差が生活の快適さを左右する。
適切な運動をすることがとてもとても大事なのだ。

また、歩けるということは歩けるだけではない。
親戚に何人かいる90歳越えのおばの一人は
施設に引っ越しで持ち込んだ段ボール箱を開けて
必要なモノを出すのが面倒だ、というばかりか
タンスの中から服を出したりするのも面倒になっているのだと。
ウチのおばあちゃんは
「なんだろねえ、面倒がらずにやればいいのに」というが
考えてみたら・これは無理になっているのではなかろうか。
そのおばは歩くのが大変になっていて
部屋の中では伝い歩きで・外の廊下は歩行器で移動している。
顔を洗うのもやっとで
片手で洗面台につかまって、片手でつるりと目の周りをこするのだと。
もう、両足で身体を支えての自由な動きができなくなっているのだ。
だったら、立ったり座ったりしゃがんだりして
タンスの引き出しを開け閉めしたり
押し入れから段ボール箱を引っ張り出すなど無理なハナシだ。
人間は身体を支えられるから・両手が使えるのだ。
それで、いい湯沸かしポットがあるのに
お湯が沸かせないとこぼしていたワケだ。(お湯じゃなくて不満を)
2ℓのポットに水を入れるのも・ポットをすすぐのも
片手じゃうまくやれないのよのう。

うまく歩けないということは・うまく歩けないだけじゃなくて
その他の種々様々な、身体を支えられてこそできるたくさんの動作が
特に両手でするような動作ができなくなる、ということだ。
普段はなかなか意識しないが、身体を普通に支えているというのは
出来なくなって初めて判る、スゴイことなのだ。


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