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きん色の窓とピーター

読書
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昔々、「暮しの手帖」で
「きん色の窓とピーター」お話 加山多香子 影絵 藤城清治
を読んだ。
原作は児童文学者の鈴木三重吉である。
藤城清治の美しい影絵が素敵だったし、何よりそのお話が良かった
のだが
何か強い違和感が!!(はい、いつもの違和感)
っていうか「何か」どころじゃなく地団太踏んだワケだ。
いいハナシなのにー!!!と。
ざっとこのお話を紹介すると

ピーターの家からは、夕方だけ金色に光る窓の家が遠くに見える。
ある日、歩いて歩いてその「金の窓のついたお家」まで行ってみると
それは自分の家と同じような農家で、窓は金色なんかじゃなかったけど
そこの子も夕方になると金色の窓が見えると教えてくれたのが
なんとピーターの家だった

要するにガラス窓が夕日を反射していたワケですね。
ざっくりですが
青い鳥は自分の足元にいた、みたいなお話であります。
さてそこでだ
気が付いた方は気が付きましたね?
夕日が毎日同じ方位には沈まないことを。
ピーターの家と遠くに見えた家の窓が

例えば西方向に互いに90度で向かい合っていた
ということは美しい奇跡と言っていいが
それならば
窓が金色に光るのは1年に2回、春分と秋分の日だけだ。
あるいは
窓の角度が、夕日が沈む方位が最も南に寄るか北に寄るか
つまり冬至か夏至に夕日が沈むときに金色に光るなら
冬至か夏至かに2日間金色に見える可能性がある。

いや、実際には二人とも家の近くに立って見ているワケだから
もうちょっと見える日にちは多くなるけど。
夕日が沈む方位は、冬至と夏至とに沈む地点を1年間で1往復する。
冬至と夏至でどれくらい日没の方位が変わるのかというと
例えば東京では冬至で241.4度、夏至で300.0度となる。

これは北から時計回りの方向の角度だ。

つまり、夕日は1年でおよそ60度の範囲で沈む場所を往復する。
ざっくり言うと、日没地点は半年で60度移動するから
1か月で10度、1日で0.33度となる。

なーんだちょっとじゃないですかー!?

いやいやいや
ここで、ピーターの家ときんいろの窓の家とは結構なの距離があって。
お話では「となりの岡の上」となっていて
家であることがわかる・見て取れるが
ピーターが歩いて歩いてやっと着いた家まで何キロくらいだったのだろか?

ここで自分の子どもの頃の体験を。
ウチからは遠くの山にぽつんとひとつ「家」が見えた。
小学校の遠足でそこまで歩いたことがあって
ウチから遠くに見えていたのはこの建物だったのかーと思ったものだ。
朝9時前に学校を出てぞろぞろ歩いてお昼前に着いて
おやつを食べて、遊んで、お弁当を食べて、遊んで
また歩いて帰ってきて3時くらいだったと思うので
ピーターの行程と大きく変わりはないのではないか。
ピーターはそこの家の人からリンゴをもらっているので
季節は秋以降で、日は短くなっているから行動時間も短いはずだ。
さてそこで
ウチからその建物までの直線距離がおよそ3.3㎞。
ピーターの家と金色の窓の家はとなりの岡の上同士だから
上り下りはあるし、道は曲がっているだろうしで
互いの家の見え方からも
直線距離としてはこのくらい・3.3㎞で良いのではないか。
さてそこで
日没地点が1度ずれると3.3㎞で何mずれるのかというと
Tan1度×3.3㎞で57.75m とな!?
ざっくりと、日没地点の方位は1日で0.33度ずれるので
ずれは19.25mとなって
思ったより大きくないですかな?
これでは反射した夕日は相手の窓から大きくはずれてしまうのですな…

ああ、これが「遠くに見える家」だったら良かったのに。
だけど、それじゃあ金色の窓ほど「ときめかない」とか?
それだと子どもにはあまり共感してもらえない気がする?
いや実はそうでもないのだけど、という話はまた次で。

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