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学び方

20年以上前
大学で、ある課題のレポートが「手書き不可」とされていて
普通の主婦が社会人入学したものだから
パソコンをほとんど使えなくて
パソコンと七転八倒の取っ組み合いをしたが間に合わず
やむなく手書きで提出してしまったことがあった。
そもそもがわからないことに取り組むのは本当にもどかしくてツライものだ。
学生に聞いたら
「簡単っすよー・大丈夫っすよー」
で、話にならない…orz
ヤツらは高校で「情報」の時間に習っておったのだ。

さてその後もパソコン入力を覚えるために
色々人に聞いたりNECの「梅にい」に初歩の初歩から教えてもらったり
大学のパソコン室でタッチタイピングの練習ソフトを使えることを
教務課の人に教えてもらったのが修了間際。
もうちょっとでイケたのに、いまだにタッチタイピングできない。

その後、しなきゃならないことに追われていたある日
ちょこっと時間ができたので
パソコンをなんとなく「いじって」みた。

これは何だろう
ここには何があるのだろう
これでどうなるかな…あー、そっかー♪

色々なところをひたすらいじってみて
ずいぶん色々なことがわかった。
そして考えてみれば、これは子どもの覚え方なのだ。
子どもは何だろうとマニュアルを読むより先に
いじりながら覚えて・じきに使いこなせるようになる。
使う・読む・使う・使う・使う・読む…
くらいの方が使えるようになると思う。(個人の実感です)
使いながら覚えるというか遊んで覚える=学ぶのだ。
「遊ぶ」は「余裕」ということで
学ぶには余裕というものも必要だと思った。

さてその後何年かたって
後輩にエラそうなアドバイスをしたことがあった。

モノを見ても、見てるんだけど、見えてないもんだよ。
ひと月くらい色々順に見続けてからね
改めてはじめの頃に見たものを見直すとね
これが、全然見え方が違っていてね
自分はこのひと月、何を見てきたのかって
愕然とするわけよ。
目の前にあって、じっくり見たはずのものが
見えてなかったんだから。
見たものが見えるようになるには
多分、どんなものでもひと月くらいかかるんだと思う。
だからって、はじめのうちは一生懸命見なくていい
なんてことじゃなくてね
一生懸命にひと月くらい、見続けるわけよ。
そうやって、やっと見えてくるわけよ。
そしてね
見続けるだけじゃなくて
それについての研究を読むわけよ。
見る・読む
また、見る・読む
また、見る、読む
これを繰り返すとね
やっと・そのうち
「ああ、これが、こういうことか」
「ああ、こういうことが、これか」
って、腑に落ちるわけよ。
何でも1回じゃわからないよ。
わかったと思ってもわかってないから。
わかったと思っても、行きつ戻りつ
見て・読み続けるんだよ。

これも学び方のひとつだ。

ホントにエラそうだけど
自分にもこういう先生が欲しかった。

さて数年前のこと
大学の社会調査に協力したことがあって
一通りの用事が済んだところで、調査に来ていた大学生から
「今、この時期にやっておくべきことは何だと思いますか」と聞かれた。
卒業間近な4年生で、あとひと月ほど自由時間があるのだそう。
(うらやま…)と思いつつも
これからの一月は、勉強をすべきだと思う
と伝えた。
「勉強、ですか」と、意外そうな大学生。
今までは「何かのために調べる」勉強をしてきたと思うけど
何かのために、じゃなくて
じっくり本を読んだり何かを見たり聞いたりできるのは今の内だから
改めて古典と言われる本や
いい映画や、いい舞台や、美術館や博物館や・・・
一生懸命に見るといいと思います
そしてできれば、同じものを日にちを置いて
読んだり見たりするといいですよ。
必ず、あらたな発見がありますから。
と、まあ、エラそうに伝えた。
ホントだから。

あの人は今、コロナの渦中でどんなお仕事をしていて
どんな事を感じているのだろうか。
あの後、何かいい勉強に出会えただろうか。

で、ナンで
初対面の私にあんなことを聞いたのだろうか。
よそのおばあさんって
むしろ真面目な話をしやすいのかも。

考えるに
私がその大学の調査に
真面目に・誠実に協力していたからではないか、と。
(ここに書くのも照れくさいが)
私が真面目に勉強してきた人間だと
真正面からの問いに・真正面から答える人間だと
そう捉えてくれたのだと思う。
(いまさら・少し震える)

正面から受け止めて・投げ返してくれる人は
ナカナカいないものなのだ。

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