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ハマナスはそこに

時折歩く道端にハマナスの繁みがあって


最近は濃いピンクの花がほぼ散って濃いオレンジ色のぷっくりとした実が目立つようになっているがその鮮やかな実を見るたびに北海道東部、知床半島付け根にある斜里の津軽藩士殉難事件を思い起こしてしまう。
津軽藩士殉難事件というのは
江戸時代後期、蝦夷地近辺にロシアが進出してきて度々日本人と衝突したことに対処すべく文化4年(1807年)当時の日本では寒冷地の津軽藩が適任と、急遽藩士や大工等作業員らが遠く蝦夷地の斜里まで派遣されたところ、折悪く季節は冬に向かう時期で、寒さと生鮮食料品の欠乏が原因と思われる「浮腫病」によって100名の内72名が命を落とした「事件」で、この顛末は藩士の斎藤勝利による「松前詰合日記」に詳しく記されている。
さてそこで「浮腫病」というのは身体がむくんで次第に弱って最終的に死に至るもので、当時の状況と浮腫という症状から考えると、ビタミンC不足での壊血病それにビタミンB1不足での脚気、それとたんぱく質不足による低たんぱく血症あたりが複合的に起きていたのではないか。それに加えて塩分過多も影響しているだろう。長く厳しい冬を越すのに、持ち込んだ食料が伝統的な日本食である白米、味噌、漬物、酒で、それに加えて冬季間は魚が全く獲れなかったとあり、野菜も魚も生鮮食料が不足していたのである。そういった種々の要因が本州に比べて寒すぎる・長すぎる・海も凍る未経験の北海道の冬で「浮腫病」を引き起こしてしまったのだろうと。
この斜里では浮腫病に対してなすすべも無かったのだが
同時期の文化4年から5年に「宗谷(そうや)詰合山崎半蔵日誌」を記した津軽藩の山崎半蔵は医者ではなかったが何度か蝦夷地で冬を越した経験から
「生大根が最も効き目がある」としていると。
壊血病にならないためには成人男子で1日10㎎のビタミンCが必要で
(適量は50~60㎎)生大根の100g当たりのビタミンC量は15㎎である。
山崎さん、よく気が付いたなー!
それでも野菜だって生のまま春まで保存するのは大変だっただろう。
この時代寒冷地での冬の野菜と言えば「 しょっぱい 」漬物だったのだ。
その後安政三年(1856年)に
増毛(ましけ)地方の警備をした秋田藩の従軍藩医岩谷省達が著書「胡地養生考」で「水腫」「腫病」の治療法として
「小豆の煎汁ニテ大根ノ絞汁ヲ呑マシム」
「土人水腫ニハハマナス花用テ効アリト云フ」等々記しているが
小豆にはビタミンB1が、生大根とハマナスにはビタミンCが含まれている。ここではハマナス花とあるが実の方はビタミンCが多いことで知られているいわゆるローズヒップである。
土地のモノでビタミンCが豊富な食物といえばハマナスで
ハマナスは斜里近辺の海岸にも群生しており
斜里の陣屋の裏手にも「茨の茂み」があったと書かれていて
この「茨」はおそらくハマナスだと思われる。


当時浮腫病と呼ばれたこの病(壊血病)は
他国から蝦夷地に来て越年する人に多く発生し
住み馴れた人や夷人には発しない
としているので、栄養の不足だけではなく不慣れな寒さで消耗するのも病気の要因となっていたのだろう。
それにしても、と。
ビタミンCが豊富なハマナスはそこにたくさん生えていたのに・・・(泣
そして白老のアイヌ民族博物館のサイトでこれを見つけた ♪

ハマナスの実は生でも食べ、干して保存もしたのだと。

土地に住んでいたアイヌ人は何が何に効くとかじゃなくて
普通にそこにある食べられるモノを食べて暮らしていて
ただ、その結果生きていけていたということで
浮腫病にはこれがいい、とは知らなかったし
そもそも浮腫病にもならなかったのだ。
さてそこで
地獄のような冬が過ぎて春になり、やってきたアイヌの若者に斜里(しゃり)のアイヌ人たちは冬をどう過ごしていたのかをたずねたところ
「斜里は冬季間の寒気はすこぶる強く、とても越年などは出来そうにもない所と前々からきまっており、ここに住んでいる蝦夷人たちは冬季間は・・・七里ほど離れた屈斜路(くっしゃろ)湖周辺の温泉地帯で過ごし、翌年の四月ごろまで斜里には帰ってこない」(松前詰合日記)
ちょとまて・・・温泉地帯ですと?・・・オーマイガーッ!!!
「それとも知らず、このような場所へ御人数を配備したのであるから、病死者の多く出たのも当然のことである。今後は、秋九月から翌年四月までは、東地(の温泉地帯)へ移動させて冬季間を過ごすよう仰せつけられたいものである」(同)
と記されていて腹立たしさと怒りが伝わってくる。
この日誌の始めに「他見無用 永く子孫江と伝」とあるのは(あっ、察し)
そもそもなぜ武士たちが斜里へ来たのかといえば
当時北方の海に盛んに進出してきたロシアに対する蝦夷地警護のためなので
あまりに冬が厳しい・海も凍る地には
ロシア人だって冬には来られないのだ。
寒さは健康に悪い。

津軽藩士殉難事件について歴史や栄養学など色々調べてからは
近所のハマナスが・ハマナスの鮮やかな実が目に入るたびに
幕末の斜里の藩士たちの所へと時空を超えて
ほら、そこにあるこれを食べて!ビタミンCだけでも摂って!
と教えに行きたくなるのだ。

ちなみに日露戦争時
日本は脚気で・ロシアは壊血病でそれぞれ2万人の死者を出している。
環境・生活文化の違いはそれぞれに苦しむ病気も変えるのである。

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