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【編集後記】「がんばる」と「手を抜かない」の違いを教えてもらったインタビュー

少し前に、こんなインタビュー原稿を書かせてもらった。

『豆醍珈琲』の店主 上田さんにインタビューさせてもらった時間のなかで、特に強く印象に残っている出来事がある。

***

インタビューと称した楽しいおしゃべりを終えた直後のこと。

「今日はほんとうにありがとうございました。おもしろいお話をいっぱい聴かせてもらえたので、がんばって原稿を仕上げます」

私がそう言ってインタビューを切り上げたとき、上田さんはしみじみ感じ入った様子でつぶやいたのだ。

「がんばる。がんばるかぁ。がんばるなんて言葉、久しぶりに聞いたなあ」

意外な反応が返ってきたものだから、私はぽかんとした表情で上田さんを見つめてしまった。

「僕自身も、僕のまわりの人たちも『がんばる』っていう言葉、あんまり使わないんで、すごく新鮮だったんです」

上田さんは微笑みながらおだやかに言い添えた。

そうか、そうだった。上田さんはインタビューのなかでもおっしゃっていた。「向上心がないんです。『一生懸命やる』みたいな言葉も、ここ数年言ったことも、思ったこともないです」と。
柔和で余裕のある雰囲気を持つ上田さんに、なりふりかまわずゼーハー努力する姿は、確かに似合わないかもしれない。

「考えやスタイルが一貫された方なんだなあ」と、私は深く感心してお店を後にした。

最寄りの和田岬駅から電車に乗り込んだあと、私は電車に揺られつつ上田さんの言葉を何度も反芻した。困ったことに、反芻するたび、胸に小さく残っていた違和感がどんどん大きくなっていく。

「がんばるなんて言葉、久しぶりに聞いたなあ」
「『一生懸命やる』みたいな言葉も、ここ数年言ったことも、思ったこともないです」

上田さんが発したこれらの言葉と、『豆醍珈琲』で私が体験したことが、どうしてもうまく結びつかないのだ。

一杯ずつ丁寧に淹れてくれる、とっても美味しいコーヒー。
炭酸水のシュワシュワという音をお客さんに楽しんでもらうため、BGMの音量を少し下げる何気ない所作、細やかな気遣い。
心配りが隅々まで行き届いた居心地のよい店内。
手作りのかわいい調度品。

私がお店で目にしたものや体験したことって、「がんばり」や「努力」なしでは実現できないモノ・コトなのでは……!? 少なくとも私には、どうがんばったって『豆醍珈琲』のような素敵なお店はつくれない。
納得のいかない私は思わずスマホでGoogleを開き、「頑張る 意味」と打ち込んだ。

【頑張る(がんばる) の意味】
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「―・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」

goo辞書より

「がんばる」という言葉には「力を尽くしてやり遂げる」というポジティブな意味がある一方で、「我慢」や「我を押し通す」などのちょっと頑固で融通が利かないネガティブな意味があるようだ。

ネガティブな意味合いを初めて知った私は、「はぁー! なるほどー!」と、大きな声で独り言ちてしまった。ネガティブな意味での「がんばる」は、上田さんの生き方、ライフスタイルにまったくそぐわないものだったからだ。

上田さんは、自分自身が機嫌よく生きることを大切にしている人だ。それは、自分自身のあり方が、周囲の大切な人たちに大なり小なり影響することを知っているから。家族やお客さんを大切に思うからこそ、自分は「我慢」や「無理」をしない。「我を通す」なんてもってのほか。
周りを広く見渡しながら、自分が出来る範囲のことを、楽しみながら、手を抜かずに、丁寧にやり切る人なのだ。そんな上田さんの生き方、ライフスタイルが心地よくって、たくさんのお客さんが、今日も『豆醍珈琲』に訪れる。

そりゃあ、「がんばる」なんて言葉、上田さんが使うわけないなあ! 私は深く納得した。

私は普段から、「がんばる」という単語をついつい使ってしまいがちだ。
それは「手を抜かずに丁寧にやり切る」ことと、「我慢して、無理してでもやり抜く」ことを、混同して理解してしまっていたからだろう。異なる二つの状態を、無理やり「がんばる」というひとつの言葉に押し込めて、雑に表現してしまっていたのだなあと反省した。

「がんばる」という言葉がついつい口をついて出そうになったとき。
私がこれからやりたいことは、「手を抜かずに丁寧にやる」ことなのか、それとも「我慢して、無理してでもやり抜く」ことなのか。その違いをきちんと自覚して、言葉を選んでいきたいなと思えた出来事だった。

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