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摘芯の鬼

朝顔の栽培にハマっている。

6月下旬頃だったろうか。むすめがこども園から朝顔の鉢を持って帰ってきた。ご家庭で夏の風物を楽しんでください、との丁寧なメッセージ付き。

こども園の粋なはからいに感謝しながらも、私は少々憂うつな気分だった。「こちとら、むすめとオットの育成で手一杯なんですけど」などと、かわいげのないことを思う。でも、まあ、もらって来てしまったものは仕方がない。私は腹をくくって育て始めた。

するとどうだろう。日一日とみるみるうちに、朝顔への愛情が湧いて出てくるのである。愛おしく思えるポイントはいくつもあるのだが、とっておきのラブリーポイントは、生長の速さだ。

朝顔ってやつは、見ているコチラがちょっと心配になるほどよく伸びる。たった1日で、10cmとか15cm平気で伸びたりする。その伸びっぷりは、アッパレ。見事。としか言いようがなく、観るものを惹きつけてはなさない。生命のダイナミズムを至近距離で毎日感じられる奇跡。朝顔がうちに秘めるエンターテインの力はあなどれない。

日々高まる朝顔愛に追い打ちをかけるように、むすめが朝顔に「ココちゃん」なる名前をつけてしまった。名付けの魔力もまた、あなどれない。一度名付けたが最後。人は名付けた対象をより深く愛するように設計されているのだ。
朝顔、もとい「ココちゃん」への私の愛着は、底なしに深まるばかりであった。

そうこうしている間に、ココちゃんはぐんぐんと生長し、つるが支柱の高さを超えて、ひょろひょろと天に向かって伸びるようになった。
ひょろひょろと伸びた部分を、私は特に愛した。見れば見るほどいじらしい。頼る先を失い、風に吹かれるたび弱弱しく揺れるひょろひょろ。貧弱な姿とはうらはらに、ひょろひょろは何があっても伸びることをあきらめない。誰よりも屈強な精神を持つ戦士なのだ。

けなげな姿に胸を打たれた私は思った。
「ひょろひょろが無事生長できるよう、私は私の出来る限りのサポートをしよう」。
私は「朝顔 育て方」でネット検索し、朝顔の正しい育て方を学び始めた。学ぶタイミングが遅すぎる感は否めないが、やらないよりはマシである。

朝顔栽培の基本は次の通り。
・水やりは日に2回
・追肥は1週間に1度

ほうほうと唸りながら読み進めるうち、次の事項に目がとまった。

・摘芯する

摘芯。初めて目にする単語であった。

摘芯とは、たくさんの花をつけさせたり、実をつけさせたりするために、芽の先端を摘み取る作業のことらしい。これつまり、ひょろひょろ それ自体を切断するということ。

ココちゃんが大輪の花を咲かせるためには、ひょろひょろの犠牲が必須……。ひょろひょろのためを想って収集した知恵・知識により、ひょろひょろは淘汰されてしまう。なんという皮肉なブラック展開。非情な現実を突きつけられ、私は膝から崩れ落ちた。

ココちゃんとひょろひょろ。どちらの未来を優先すべきか、私はしばし熟考した。まさかわが身に「命の選択」を迫られる日が来ようとは。人生、何が起こるか分からない。

私は断腸の思いで、愛するひょろひょろの斬首を決意した。

「ひょろひょろ、御免……!」

バツン。

ハサミで一刀両断。ひょろひょろは力なく地面に舞い落ちた。ココちゃんから分離されてしまえば、それはもう愛を注ぐ対象などではなく、ただの草だった。なあんだ。やってしまえばなんてことない。私、できるわ。

摘芯の鬼が爆誕した瞬間であった。

***

「ママ―! ココちゃんの背が、むすめちゃんの背より大きくなったよー!」

「……そう。今、見に行くね……」

少女の無邪気な声がベランダに響くたび、摘芯の鬼のハサミが妖しく光る。

ココちゃんの夏はまだ始まったばかりだ。

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