明日の食卓(著:椰月美智子)

「息子を殺したのは、私ですか?」

言葉の違和感に目を留めた。

私は月に、1、2度は欲しい本がなくても書店に足を運ぶ事にしている。その時読みたい本がなくても、読みたくなる本がそこにはあるかもしれないからだ。

帯に書かれたその言葉に、私は首を傾げた。

こんな言葉を使う機会が果たしてあるだろうか。

いや、まず無いだろう。この言葉の真意は恐らく物語の中にしかない。そう思うと、読まずにはいられないという気持ちになった。私はこの手の好奇心にめっぽう弱い。

前置きはさておき

物語は、突然にイシバシユウという9歳の男児がいたましくも虐待死を遂げるという新聞記事からはじまり、3人の母親の視点が入れ替わり立ち替わり展開していくというものだ。

母親たちはそれぞれに別の地域、別の家庭を持っているが3人が3人とも同姓同名、同じ年齢の「石橋ユウ」という男児を育てている。

1人は専業主婦で、もう1人はシングルマザー、あとの1人は共働きで二児の母親。

三者三様の生活の中で、それぞれに抱えた問題が見えないところで広がっていくところは少しぞくっとするものもあった。

さて、話は変わるが現代日本の出生数は87万人余りだそうだ。近年、過去最低を更新したらしい。

かたや全国の児童相談所が対応した児童虐待を疑われるケースは19万件を超え、こちらは過去最多の数字でありその中でも死亡事例は年間に50件以上、一週間に1人の割合で子供がいのちを落としているという事になる。

新聞やニュースでも時折目にすることもあり、その度に「可哀想になんてひどい親なのか」と憤る人も多いのではないだろうか。かく言う私もその大勢のうちの1人なのだが。

そういった事件の話題に触れる時、無意識にその「親」に問題があったのだと思っていた。

子供を真っ当に愛していれば、そんな事出来るはずがない。起こるはずがないのだと。

この本の中には「(事件を起こしたのは)本当にどこにでもいるお母さんなのだった。生活雑誌を読み、誰かの子育てブログを読み、(中略)日本中のどこにでもいる、普通のお母さんなのだ。」という一文がある。

平凡な日常の中でも、自分は絶対に違うと思っていても少しの間違いで「そちら側」になる可能性がないと、誰が言えるだろう。

作中亡くなったユウの母親が綴った手紙の中には、かけがえの無いものを自分の手で壊してしまった後悔と懺悔とそして狂おしいほどの我が子への愛が溢れていて読んでいて胸が詰まってしまった。

ひとりの人間を生み、育み、生かす事の難しさと

私がいつか、誰かの親になったときその子になにを望み何をしてあげられるだろうかと考える一冊でした。

実はこの本、菅野美穂、高畑充希、尾野真千子というキャスティングで映画化されるそうですね。

そちらの方も興味がある方は是非。





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