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龍の通る道

令和6年1月4日。新年一発目の診察である。皮膚科の予約時間は朝9時だ。病院に行く前に、八幡竈門神社に行く。初詣である。この日はわたし一人だった。夫もまだ正月休みだったが、今日は病院についてきてもやることはない。家で留守番をしてもらうことにした。

八幡竈門神社には初詣らしいにぎわいはない。普段より少し人が多いぐらいだ。出店も無い。駐車場には企業名が入った営業車が何台か停まっていた。今日から仕事始めの地元の会社だろう。
拝殿でお賽銭をあげ、柏手を打つ。お願いは相変わらず“あのこと”である。
(先生のこと本気で好きになっちゃったみたいなんです、神様。どうにかしてください…)
拝殿に背を向け、国立別府病院と別府湾を鳥居越しに眺めていると、後ろから突風が吹いた。舞い上がった砂ぼこりに、思わず目を細める。風は空気の塊となり、弾丸のように参道を駆け下りていった。

何かが起こる予感がした。八幡竈門神社を後にして、わたしは別府病院へと向かった。

受付を済ませ、1階で血液検査をしてから、2階の皮膚科に向かう。1階も2階も今日はガラガラだ。
別府病院の皮膚科は、診察のたびに問診表を書くよう求められる。10日ぐらい前に書いたところなのに、この日もまた書いてくださいと言われた。何かよくわからんシステムである。わたしは受付に問診表を出して、待合室の長椅子に腰をかけた。

今日は10分ほどで名前を呼ばれた。湿疹が出ていた胸から首回りを見せると、皮膚科の先生は言った。
「だいぶ赤みが引きましたね。塗り薬が効いたということは薬疹ではないでしょう。ホルモン治療をこのまま進めていただいて問題ありませんよ」
皮膚科の先生からお墨付きをもらった。わたしは診察室を出て、1階の乳腺外科へ向かった。
「もう皮膚科が終わったんですか?!早っ!」
外科外来の受付の人がびっくりしていた。この日は乳腺外科も空いていた。受付を済ませると、すぐにわたしの名前が呼ばれた。

「どうだった?」
大谷先生に聞かれたわたしは答えた。
「薬疹じゃないからこのまま治療を進めてもらって問題ないです、だそうです!」
それを聞いた大谷先生は貧乏ゆすりを始めた。

「あの先生、皮膚科にかかって思ったんですけど、大きい病院のほうが何かあったとき安心だなって…」
転院したいと言い出してからまだ10日ぐらいしか経っていない。短期間で気が変わったことを、大谷先生にどう説明したものか、わたしは考えあぐねていた。
「前回は待ち時間が長くイライラしていた。転院は本望ではなかった」
素直にそう伝えればよかったのだが、何となくこのような言い方をしてしまった。すると突然、大谷先生の口調が変わった。
「大きい病院とか関係ない!」
吐き捨てるような強い声だ。机をコツコツと指で叩いている。見るからにイライラしていた。
いつもジッと目を見て話して下さる先生が、この日は全く目を合わせようとしない。見たことがない先生の様子に、わたしは面食らっていた。今日は先生の後頭部に、大きな寝ぐせがついている。
(お正月休み明けでイライラしてるんかな?当直やったとか?)
ようやくこちらを見た大谷先生は、この前のバッキバキの目つきになっていた。両腕を頭で組みながら先生は早口で言った。

「今すぐ転院できるけど、どうする?」

声が上ずっている。
(えっ、転院しないって言おうとしてたんだけど。さっきの話の流れで分からん?)
わたしはおろおろしていた。
「あの、転院は…」
「今日転院しないならいつすんの?ねぇ?」
先生は後頭部で組んでいた両腕を、勢いよく机の上に叩きつけた。ドンっと大きな音がして、わたしはビクッとした。
「ねぇ、いつ?いつ転院するの?次の診察の時にする?それで決定!いいね?」
大谷先生は早口で畳みかけてきた。
(えっ?えっ?ちょっと待って??先生、どうしちゃったの?)
「2月29日に転院でいいね?」
「え、いやあの…」

「い、い、ね??(キレ気味)」

待合室で、わたしは呆然としていた。何が起こったかわからなかった。転院を見送る理由を病院の大きさにしたことに、先生のプライドが傷ついたのだろうか。
「先生、転院したいなんて言ってごめんなさい」
そう言えばよかったのだろうか。それにしたって、患者の転院を医師が勝手に決めるなんておかしな話である。
先生は前回の診察の時、わたしの気持ちを次の診察で再確認すると言っていた。わたしが転院をやめようとしていたことは、会話の流れでわかったはずだ。

(八幡様は先生のあの姿を私に見せようとしたのですか?)

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。