見出し画像

三歳の軍神

大分県中津市は、県の北端に位置する中核都市である。わたしは中津市にある「薦(こも)神社」を訪れていた。

薦神社は別名「大貞八幡宮」とも呼ばれている。八幡宮は日本でもっとも多い神社だ。その数は4万社以上とも言われる。「身近に八幡宮がない」という日本人を探す方が難しいだろう。別府病院の近くにある竈門神社も八幡宮だ。

我々にとって身近な八幡様だが、どんな神様なのかわたしはよく知らない。調べても分からないのだ。世の中的にも結論はおそらく出ていないと思う。

大分県には、八幡宮の総本社「宇佐神宮」がある。薦神社は宇佐神宮の祖宮である。八幡神は元々、宇佐氏が崇拝していた地方神だったが、ご神託を通じて応神天皇の化身とされるようになった。土着信仰と天皇崇拝が融合した珍しい神様である。

八幡神は戦の神としても知られている。養老4年(720年)、隼人の乱が勃発した際、朝廷はこれを鎮圧しようとして宇佐八幡に神託を仰いだ。八幡神は自ら征討に赴くと託宣し、薦神社の三角池の真薦で作った枕を御神体とした神輿が、日向・大隅に進軍した。八幡神は戦場で傀儡子(あやつり人形)を舞わせ、見物していた隼人軍を攻め勝利を得たとされている。

八幡神は三歳の童の姿で薦神社に降臨した。八幡神は戦の神なのに、姿は子供なのだ。わたしは薦神社に来るまで、毘沙門天やヘルメスのような筋骨隆々な男神の姿を想像していた。桃太郎の恰好で写真を撮られる赤ちゃんモデルみたいな神様が頭に浮かぶ。

薦神社は社殿の西側にある三角池(みすみいけ)を本宮、社殿を外宮と称している。三角池のほとりには、降臨した八幡神の足跡が残されている。

本殿前の神門は、一見の価値があろう。江戸初期に藩主細川忠興によって建立された。朱塗りの神門は美しいだけではなく、当時を知る上で重要な学術資料である。国の重要文化財にも指定されている。2020年11月から屋根の葺き替え工事が進められていたが、2022年6月に完了した。

観光客が薦神社までわざわざ訪れることは稀だ。特別なイベントでもない限り、境内はいつもひっそりしている。参道には、クスノキの巨木が何本も生えている。力こぶのようにモリモリと盛り上がった幹や根は、異形の神のようだ。

わたしは薦神社が好きだ。10回以上は参拝していると思う。

三角池の鳥居に向かって手を合わせ、祈った。わたしは今、出口の見えないトンネルの中で必死にもがいている。大谷先生への気持ちが、やばい方向にこじれてしまうのが怖かった。

(八幡様、どうか良い方向に導いてください)

わたしは普段から悩み相談をあまり人にはしないようにしている。結局、他人は他人だからだ。

15年付き合った元カレについても、周りからは無責任なことを散々言われ続けてきた。

「15年も付き合っているのに結婚しないなんて、何か裏があるんじゃないの?」
「本当に独身?」
「そんな男、別れちゃえば?」

親切ごかしに言ってくる周囲の人間と縁を切っているうち、どんどん孤独になった。人生の階段を順調にのぼっていく周囲の人たちと、自分を比較するのがつらかった。そして次第に自分の殻に閉じこもるようになっていった。

結果的に、その元カレとは縁が切れた。それでよかったと思っている。でも、別れようと決めたのは自分だ。彼のことは恨んではいない。当時の苦労も自分のためになったと思う。先方に勘違いを与えても申し訳ないから、連絡をすることはないが、振り返ると楽しかった思い出ばかりがよみがえってくる。

自分のことを決めるのは自分であるべきだ。そして、間違っていたと後で感じたとしても、その時正しいと思って決断したことは正しいのだ。そう考えるようになってから、以前より生きやすくなった。

でも、ひとりで何もかも決めるのは時に苦しい。本当に大丈夫なのかと不安になってくる。頼りになる誰かにすがりつきたいこともある。

そんな時、神社に来て祈ると心が落ち着くのだ。それだけではない。全ての物事がスムーズに運ぶような気がする。昔の人たちも、わたしと同じような気持ちで神様に祈っていたのだろうか。

三角池の鳥居にむかって深く頭を下げ、わたしは薦神社を後にした。別府に戻ってきたわたしは、千円カットに立ち寄った。スマホで夏木マリの写真を検索し、「この髪型にしてください」と美容師さんにお願いした。写真の髪型は辮髪に近いツーブロックだ。

「こんなに短くして、旦那さん何も言わない?」
女性の美容師さんが心配そうにわたしにたずねた。
「『君ならどんな髪型でも似合うよ』って言ってます!」
わたしがそう答えると、美容師さんはニヤニヤして言った。
「ンまっ!ごちそうさま」

俺の女なんだから俺好みの髪型にしろ!夫がそんなことを言うタイプの男だったら、結婚までたどり着いていないだろう。わたしのやることに夫は反対したことがない。いつだったか「Snow Manの佐久間くんみたいな髪色(ピンク)にしたいな~」とわたしが言ったときも、夫は「いいじゃん!やんなよ」としか言わなかった。

美容師さんがバリカンのスイッチを入れた。
「短い部分は5ミリにしますね?」
5ミリで切るとどんな感じになるか、わたしには見当も付かない。
「はい、よろしくお願いします!」
そう答えると、バリカンがこめかみに押し当てられた。
バリバリバリバリバリバリ…
バリカンが移動するごとに、顔の周囲の空気の流れが変わる。

夏木マリヘアは10分ぐらいで完成した。トリッキーな割に作るのは簡単みたいだ。ツーブロックはカッコいいだけではなく機能的である。くせ毛で広がりやすいわたしの髪が、ストンときれいにまとまった。

しばらく沈み切っていた心が、久しぶりにウキウキとはずんだ。千円でこんなに気分が明るくなるなんて。千円カットって最高。

その日の夕食の席である。
「かんぱ~い!」
特に何もない日でも、二人は夕食のときに乾杯をする。いただきますの代わりだ。夫のグラスの中身は焼酎の炭酸割りだ。しかしわたしのはただの炭酸水である。

内科で処方されたパロキセチンを飲み始めてから、わたしはアルコールを一滴も飲まなくなった。

抗うつ薬を飲み始めた日のこと。パロキセチンは眠くなるので、服用するタイミングは就寝前である。
「眠くなる薬と、お酒って一緒に飲んでもいいんかな?」
わたしが夕食の席で言った。
「睡眠薬は酒と飲んだら悪いって言うけどな。抗うつ薬はいいんとちがう?」
夫が答えた。
「そうやな~、まぁでも今日はお酒はやめとこか」
わたしは何となくアルコールを控えた。その日だけのつもりだった。

お酒を控えた次の日は、前日の分も取り返す勢いで飲みたくなるのが通常だった。しかし、今回は次の日も全く飲みたくならなかった。せっかくだし、二日目も禁酒してみるか。

そんなノリで、もう一ヶ月近く飲んでいない。
体重にそれほど変化がないのは残念だ。しかし顔つきはすっきりしたと思う。
「髪の毛切ったんや。いいやないか!」
夫がわたしに言った。手術前に比べ、わたしの外見は良い方に相当変化したと思う。乳がんの治療で、こんなことが起こるなんて。人生ってホントわからんわ。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。