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服と人生観

この2年間、海外旅行はごぶさた。そろそろ「また日本脱出したい欲求」が高まりつつある。でも、夏の終わりの閑散期で飛行機代を調べたら、ビックリするような値段が出てきた。そう、ヨーロッパでは紛争があり、円安があり、物価上昇があるのだ。

ところで海外旅行から帰国するたびに思うことがある。空港がピカピカなのが一つ。電灯が明るいことも挙げられる。BGMやらアナウンスやらが耳に入ってきて、私の耳の中が騒がしくなるのもそう。

中でも一番感じること。それは、

「同じような服装・髪型の人が多い」

である。背丈も似ているし、洋服のカラーも似ている感じ。ヘアスタイルも。海外で「多文化共生=服も髪型も持ち物も多種多様」を見てきたばかり。ゆえに余計敏感に感じ取ってしまう。

日本が均一性過ぎる?いや、本人がその髪型や恰好に満足しているのなら、それはとても良いこと。なぜならそれで幸せを感じられるから。

でも、もしそうではないとしたら?周りがみんなそういう格好だからという理由だけだったら?そういえば随分前にヘアサロンで読んでいたワーキングマザー向け雑誌に、こんな文章があったっけ。

「このコーデなら悪目立ちしない!」

初めて「悪目立ち」という言葉を知った。

私はと言えば、明るい色が好きだし、好みのスカートのシルエットも決まっている。けれどもなかなか最近は見かけない。なので、万年同一ルック防止のため、スカーフで多様性があるように見せかけている(苦肉の策)。

デザイナーの山本耀司氏の次の言葉が印象的だった:

「服を着ることは文化であり、人生観の投影」

そうなのだ、本人の生き方が服に反映されるのだ。

山本氏によれば、流行やブランド名だけで服を買うのは「あまりにも薄っぺらで情けない」のだ、と。

一度きりの人生。自分が着て心地よいものが自分を幸せにしてくれる。外行きの服を着られる回数にも限りがあるものね。ならばこそ、好きな服を着たい。

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