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自力で逡巡し続ける

積読になるのが嫌で、ここ数年はもっぱら図書館本。だから書店に足を踏み入れる回数が激減した。お金はかからなくなったけれど、何だかつまらなくなった。だから最近、本屋さんで棚の間を歩くようにしている。

それにしても光景は以前と変わらない。自己啓発ハウツー系の本が平積みされている。効率的な仕事の進め方に関する本や、あなたはそのままで良い系の心理学の本。きちんとせねばというココロと、ありのままでOKという相反する思想が並列している。

ネットの中も同じ。解決策を知りたければ検索すると出てくる。動画や画像でわかりやすく説明されている。ありがたい時代。でも、それってややもすると「何事に対しても答えを欲しくなる」ことにつながらないかな?

舞踊評論家の乗越たかおさんが興味深いことを書いている。コンテンポラリー・ダンスを観るお客さんに関すること。伝統的なダンスとは異なり、新しいタイプのダンスは解釈が難しいから。

「とくに『ダンスでしか表現できない領域』に入っている作品の場合、観客は頭で理解できる以上のなにかを全身で受け取ってしまう。その正体を考え続けモヤモヤした状態を味わうのがアートの醍醐味なのだが、知的体力がない人は耐えられない。自分で考えるのではなく、スッキリしたい!早く楽になりたい!誰か教えて!と『答え』を求める。思考停止したいのだ。」

「ダンスでしか表現できない領域」や「アート」の部分を「人生」に置き換えて改めて読んでみる。生き方や人の一生というものに正解は無いのだが、ここまで何事にも正解やハウツーが蔓延している昨今に生きる私たちにとっては、「自分で考える」よりも、一刻も早くスッキリして楽になりたい。だから答えを追求してしまうのだろう。

となると、生きる上で大事なのは「知的体力」、つまり「自分で考えるチカラ」ということなのだ。他者の考えを拝借するのでなく、間違っていても良いから自力で逡巡し続ける。一人一人が自ら思いを巡らせることが、生きる上での「自由」なのだと思う。

(「ぶらあぼ」2022年9月号より)

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