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かさぶた

私が子どもの頃はケガをするとマキロン、ではなく「赤チン」で対処した。真っ赤な液体を傷口に塗り込む、というもの。昭和世代ならおなじみの商品で、どの家庭にもオロナインと赤チンとヨードチンキはマストアイテムだった。

まだインターネットなどなく、児童館や図書館なども少ない時代。子育て支援などという言葉もなかった。だから子どもたちは外で遊んでいた。親の付き添い抜きで子どもたちだけで出かけた。原っぱでかけっこをしたり、用水路の橋渡しを渡っては落ちたりなど、しょっちゅう傷を作っていた。そこで登場するのが赤チンであった。私も膝小僧がいつも赤色だった。

治りかけて赤チンが取れてくると、かさぶたができてくる。乾いて硬くて、完治まであと一歩であることがわかる。ところがこのかさぶた、とにかくかゆい。第一、気になる。かさぶたの端が少しだけはがれかけていると、気になって仕方ない。そっとめくっては、まだじくじくしていたりすると、慌ててかさぶたを戻す。それを繰り返す。そして、つい勢い余ってはがしてしまったりすると、また傷口ができてしまう。

なぜそれがわかっているのに、わざわざかさぶたの端っこを持ち上げるのだろう?おそらく「もう治ったかな?うん、たぶん大丈夫なはず。はがしてみようかな?」という好奇心と怖いもの見たさだったのだろう。「多少痛くても平気。赤ちゃんじゃないもん」という背伸びだったかもしれない。

この「怖いもの見たさ」と「強気の背伸び」。実は大人になってからも健在だ。苦しい親子関係において、「今度こそは親も改心してくれるはず」「愛情を示してくれるはず」と期待して近づく。心の中では「万が一、関係改善に至らなくても、私はもう大丈夫なはず」と言い聞かせながら。

けれども、やはり親は変わらずじまい。すごろくの振出しに戻るのである。背伸びして「大丈夫大丈夫」と自身に言い聞かせてはいたけれど、やはり「傷口」は「傷口」なのだ。

だから、せっかちになってかさぶたをはがしてはいけないのと同じ。心の傷口も中途半端にこじ開けてはいけないのだ。

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