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メーデー

「お前なんか生まれてこなければよかった」

そう言った母へ、はじめて毒を吐いて距離を置いています。

話題の毒親。毒なのに、守らなければならないと教育され、耳障りの良い言葉、振る舞いを心掛けて生きてきました。自分が傷つけられたと感じると不幸なヒロインに変身し、自殺しようとし、家族会議という名の‶どれだけ自分が傷つけられたか”、そして、‶解決できない闇に閉じ込められているかわいそうな自分”を一生懸命演じるので、10代は母のために何度も徹夜で話を聞きました。自室に逃げても追いかけてきて話し続ける母。包丁を持ち出し首に充てたり、ロープを持ってお風呂場の洗濯竿で首を括ろうとしたり、ひどく酩酊したまま車で出掛けたこともあります。

…こわかった。狂気の家でした。


当時の私は、もともと引っ込み思案だった性格に拍車がかかり、だんだんと人との距離感が図れなくなって、自室にこもって通学できない時期もありました。母が自分のことを全く見てくれない淋しさから、自分の容姿や性格、世間での評判などが悪いことが原因だと考え、自分の見せ方をとにかく学びました。好かれる人はどんな人物か、自分の容姿や性格に合った好かれる人物像を研究しました。母に好かれたくて、母以外でもいいから誰かに大切にされたくて。愛されたかった。強い意見は言わない。笑うタイミングを合わせる。相槌。笑顔。派手なグループが苦手で、地味な子、気の弱そうな子、優等生タイプ、体育会系としか話さなかったと思います。自分の感情にストレートだったり意見をはっきり言うような人がこわかった。これ以上ないくらいに余裕がなく、心が傷ついていました。

居場所は家と学校しかなかった。

高校3年生のとき、友人の誘いでひとつ習い事をしました(金銭的には余裕のある方の家庭だったので、塾や習い事には寛容だったのです)。モダンダンスでした。身体を動かす習い事はほとんどしたことがなかったので、基礎も柔軟性もさっぱり持ち合わせていなかったのですが、友人に連れられるままにまずは体験から。業界では先生の先生をしているような方の教室だったので、他の生徒は母のような年齢の方しかいませんでした。エネルギッシュで爽やかであたたかい雰囲気。私は、母以外の大人の女性の温度をはじめて知りました。

————世界はとても優しかった。

居場所がいくつもあることの重要さと、家族がすべてではないということを知りました。失敗しても、ダメでも、本当のことが言えなくても、一生懸命取り組んでいる姿はちゃんと伝わる。大きな努力でなくても、コツコツ続けたことは形になる。愛のある注意や説教はうれしい。いつも見ててくれる人がいる安心感。


大学生になると、愛されたくてした努力が実を結び、年齢や性別問わず友人知人ができやすくなりました。まだ人付き合いが苦手だったのですが、たくさん練習させてもらったと思っています。

母の心の問題が一番大きく占めていたので、心理学を読み漁り、大学では心理学を専攻しました。そして、できるだけ母と顔を合わせないように、サークル、バイト、授業、友人、恋人との時間を精力的に作って、忙しく過ごしました。恋人や好意を持ってくれる方に必要とされることがうれしくて、いつの間にかダンスは踊らなくなっていました。

ひとり、今でも心の支えになるような言葉をくれた人がいます。スピリチュアルな世界が好きで、アロマが好きで、とても優しくて、いつもなんだか甘いにおいのした彼。「ここに君がいればいいのに!って思ったよ」。家族会議で、モラハラ臭のする父、メンヘラが発酵したような母とやりあってきた私から見ると、年齢の割に頼りないところが気になり(問題のある家庭か大きなトラブルに遭ったような人以外は大抵そう見えてしまうのだけど)、一緒に過ごすのがつらくなってしまって残念ながらお別れしたけれど、間違いなく彼のおかげで傷ついた小さな私が救われた。この先も生きていける私になれた。愛で傷ついた傷は愛でないと癒されない。

それからは、仕事と、愛してくれる人を探すことに夢中になって過ごし、今は光を集めたようにパワフルで愛しい息子と、大きな木のように揺るがない夫と3人で暮らしています。


母から少しずつ距離を置くようになってから出逢った人たちは、みんな優しくて好意的で協力的で、その時々で大変だったりつらかったことはたくさんあるけれど、概ね幸せに生きています。いじわるな人もいました。古い価値観にも触れました。でも、それ以上に良識のあるあたたかい人が多かったように思います。

母とは同居していないし、適度な距離に住んでいるので、喜ばれるように程よく通ったり、負担にならない程度に頼ったり甘えたりして、必要とされていると自負できたり、周囲に孫の自慢ができるように心を配っていましたが、どうしても気になることが度々ありました。私のことはいいのです。息子のことです。母は定期的にやたらめったらに暴言を吐く時期が来るのですが、息子を無視したり、「○○ちゃんは私のこと嫌いだもんね」などと言うようになったのです。私は息子に家族や祖父母、周囲のみんなに愛されて育ったと自分で思えるような子になってほしかったので、まだうまくコミュニケーションが取れない息子に代わって、積極的に周囲との橋渡しを行ってきました。印象良く思われるように。印象良く思えるように。好かれて、好きになって、毎日が楽しくなるように。心理学をかじっているので、無視したり、否定的な言い回しが脳にダメージを与えることは知っています。特に応答的なコミュニケーションが必要な乳幼児に対して、その対応を取る姿が嫌でならなかった。

それから、私自身の振る舞いが気になった。実の親に媚びる姿は息子に見せたい姿だろうか。親の顔色を伺う子どもになってほしくない。私のようになってほしくない。自分を傷つける人を大切になんてしなくていい。愛して、尊重してくれる人を大切にして、大切にされてほしい。

だから私は、母が祖母にいつも言っていた恨み言を母に対して使った。

傷つけたら傷つけられることを学んでほしかった。

痛いのはいつも自分だけじゃない。


息子は実家へ帰るときに通る道に差し掛かると、思い出したように「ばあばのおうちにいきたい」と言います。今は行きません。媚びなくては守れないから。

必要な用事があるときに、夫と家族3人で行きます。



そして、今日はその日です。

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