家庭内の問題と愚痴と解決

#世界一役に立たない旦那の行動
を読んで感じたことと思ったことを勝手に書く。
大体は「母」と「私」に置き換えられる。

家庭内で問題や出来事


家事の分担が明確になっていないと「誰が何をどんなふうにどこまでやるか」「家事の見直しは誰がするか」といった判断が常に付きまとう。
快適に暮らしたいだけで家事をやりたいわけではない人間が多い場合、押し付け合いになる。
押し付け合いになれば「その状況に耐えきれない者」「立場の弱いもの」に大体流れ着く。
立場の弱いものだってやりたくてやっているわけではない。微塵も納得していない。だからといって他者の行動は変えられないし、ましてや自分の感情を制御できるものなどいない。
無理やり道具を持たされて家事をさせられるわけではないけど、無視すれば「「何故」やらなかったのか?」「嫌ならやらなくていい(威圧・不機嫌)」「自分でそうするって言っただろう(選択肢はない)」となるので静かな強制だと思う。

愚痴


愚痴はここで、どうにもならないと感じたときに出てくる。
これは勝手に出てくると思う。整理していない感情が言葉の形になっているだけだと思う。目的は無いし何も期待していない。どっかぶつけて呻くのと変わらない。これがあのタグに集まったツイートなのかなと感じる。

解決

解決しないのか?という話についての見解。
意思表示して、提案をし、状況を伝え、お互いに歩み寄ることは無いのか?愚痴より建設的ではないか?という声もある。
別次元の話だと思う。解決する、建設的なやりとり、というのは同じ立場の人間にだけできることだと思う。
家事をやるものとやらないものが同じ家にいるとき、やるもの側では消耗品の補充は問題になるが、やらないものの側では問題にならないのではないか?やらないもの側では「自分の管理管轄外」なので解決も何もない。問題ではないものは解決しようがない。
同じ家に住む対等な人間同士、というのは家事やるもの側の見解であり、やらないもの側は何らかの理由でやらない理由があるのだと思う。
そこに家事分担を持ってくると、やらないもの側にとってはそれこそが問題になると思う。やらずに済んでいたことを考えなければいけないなんて問題だろう。だからとにかくつっぱねる。

最後に

家族という集団で暮らすのにもスキルや適性があるのかもしれないと感じた。
家庭という変化があまり発生しない組織ではこうした不均衡や問題が起こりやすく解消されにくいのではないか。
弱さを持つ人間、強さが無い人間はこういった立場が固定されやすい組織からは離れた方が権利を侵害されにくいと感じる。
序列が強固に形成されていると、目に見える分かりやすい強さが無い人間は虐げられやすくなると思う。
稼いでいるか?男か女か?年齢は?技能は?健康状態は?美醜は?性格は?とにかく優劣で比較され、下位に回ればどんな物言いも聞き届けられることは決して無い。上位者の気持ち次第で扱われる。
「話せばわかりあえて問題が常に解消されるはずだ」という前提の人間とは世界が違うので「何か役に立ちそうな言い方」でも聞いてそれでおしまいにした方が良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?