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ゾウはどう歩くのか(あるいはマイクを踏む大人の話)

この記事は「みんなの北星 Advent Calendar 2022」の1記事として執筆したものです。


ふだん計画を立てて、構造を作りこんで…っていう文章の書き方を説いている身だけど、今日は思いついたことを適当に、ゆるやかに書こうと思う。自分にとって何かを書くことの根っこは「たのしい」ことなので。

どうして大学教員に行きついたのか?と考えると、自分にとっての原風景として思い出すのは、タイトルの通り「ゾウはどう歩くのか」の話だ。これは同時に「マイクを踏む大人の話」でもある。何を言っているのかてんで分からないだろう。そのてんで分からないコンビネーションが、自分にとっては意味がある、というのはとてもたのしい。

どういう風景だったかを話そう。

小学生のころ、たぶん低学年とか中学年とかだったと思う。親に連れられて化石発掘についての講演会に行った。親はいわゆる「在野の研究者」だったので、講演会とか発掘現場に連れて行かれる、そういう機会はちょこちょこあった。そのときは地元で動物の足跡の化石群が発掘されたとかで、何人かの登壇者が順に講演をしていた。

その中のひとりが、ゾウの歩き方について解説をした。ゾウの足跡は、2つの足の跡が重なった形で残る。これは、前の足で踏んづけたのとおなじ場所を、そのあと後ろの足が踏んづける形でゾウが歩くからだ。化石の足跡も、ぬかるんだ地面を2回踏みつけた形で残っている。こういう動物の動きについては、言葉で説明するのはなかなか難しい。私も今文章に書いていて、どう説明したらいいかと少し考えた。ゾウは「4本足」なので、「右手の跡の上を右足で踏む」ということはできないし、「右前足の跡を右後ろ脚で踏む」なら正確なんだろうけどまどろっこしい(口頭だとよけいに)。

そのときの講演者は、会場ホールのステージの上で、自分の体で実演した。四つん這いになって、「前足をまずここに置きますね。」とやって見せた。「前足を置いた場所が分かるように、マイクを置いておくと…」そのあと、ゴリっとノイズが鳴った。前足を置いた位置に後ろ足を持ってくるという実演をした勢いで、講演者がマイクを踏んづけたのだ。大人がそんなことをするなんて、というので、こどもの私にもずいぶん衝撃だったし面白かったのだろう(あまり細かくは覚えていない)。

これが「ゾウの歩き方」と「マイクを踏む」のコンビネーションの話だ。くだらない些細なエピソードだけど、自分がここまでずっと覚えていること、「研究をするということ」とこのエピソードが分かちがたく結びついていることは、研究者としての自分のスタイルとか進み方をやっぱり、かなり反映しているのだと思う。ふるまいの適切さとか大人らしさとかではなく、目先の懸命さや興味に集中する(してしまう)ことを、ある意味で自己正当化しているのかもしれない。「たのしい」に自分を導かせることを良しとしているきらいがある(そのせいで失っているものやできてないこともいろいろあるのが心苦しくはあるけれど)。

自分の研究分野として選んだ先は、あの日の講演で聞いたのとはずいぶん違うものになった。でも、言葉のことを考えていると脳が焼かれるような楽しさ(と苦悩)があるので、なかなかいいところにたどり着いたのだろう。自分の選んだ言語学(意味論)は理論研究・基礎研究の側面が強いので、「何かの役に立つ」という感じではないけど、「役に立つのか?」という問いにもしれっとした顔をしていられるくらいにはなった。「たのしい」ところを守って心を温めながら、「役に立ちそう」なことを言ったり教えたりしてのけられる技術も付いた。

これからも心の中では「マイクを踏む」ような大人でいるんだろうとおもう。なんだったら1回ぐらい、物理的なマイクを踏んづけてやるのもいいな。

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