詩誌「三」66号掲載【四十一番星に咲いた火花】飯塚祐司

その日初めての客は、肩の後ろで長い髪を束ねた一人の女性だった。ろうそくの灯が幾つも揺れる店内をもの珍しそうに眺めている。見たことのない顔で、つい最近越してきたのかもしれない。
いらっしゃい、どんな火をお探しですか?料理用はもちろん、たばこ用やお香用、懐古趣味の方の為に照明用だってありますよ
カウンターからそう声を掛けると、初めて気がついたようにこちらを向いた。二十を超すか超さないかといったところだろうか。振り向いた瞬間、雨の匂いをかいだ気がした。
ひとを、燃やしたいのですが
女性は視線を合わせずに抑揚を抑えた声でそう答えた。一瞬聞き間違えたかと思ったが、やはりこの星に来たばかりなのかもしれない。小さい子どもに向かい合うような営業用の笑顔を作り直した。
お客さん、最近この星に来たばかりですか?残念ながらこの星に人を燃やすことのできる火なんてものは存在しません。ご承知のように火というのは怖いもので、始まりはたった一個の種火でも、ちょっと勢いがつくとあっという間にそこら中に燃え広がってしまうんです。この四十一番星しじゅういちばんぼしは、かつては大きな火事に見舞われて、大きな被害を出したと聞いています。だから、今では防炎・誤燃処理の施された安全な火を我々のような者が取り扱っているんです。焼き魚用の火で枯葉は燃やせないし、照明用の火はただ明るいだけで何も燃やすことはできません。お分かりですか?人を燃やすなんて物騒な火はこの星ではあってはならないんですよ
理解しているのかいないのか、女性は手近に置かれた鑑賞用の黄色い火をずっと見つめていた。
それでもわたしは、彼女を燃やすと約束したんです。それが、亡くなった彼女の最後の望みでしたから
そう言って、女性は顔を上げた。真冬の夜空のように黒い瞳がこちらをじっと見つめていた。潤んだ瞳に映り込んだろうそくの灯が、水面の篝のように揺れていた。その灯を見ていると、体の内側がじわりと熱くなるのを感じた。
分かりました
しばらくして、息苦しさから逃げ出すようにそんな言葉が口をついた。店の片隅に置かれた鉢植えを女性に差し出した。
この苗木は、サクラという今はもうほとんど見る事の出来ない植物です。その彼女さんを埋葬したら、この苗木をその上に植えてください。サクラの木は、その下にある死体の血を吸い上げるという伝承があります。この木は遺伝子操作で成長を早めているので来春には花が咲くでしょう。その花が咲いたなら、その時火葬して差し上げます。それでいかがですか?
女性は鉢植えを受け取ってしばらく悩むようにしていたが、やがて一礼して店を出て行った。店の扉を開けた瞬間、ひやりとした風が店内に吹き込んだ気がした。

次に女性と会ったのは、年が変わった春の終わり、雨が降る夜の事だった。メールで呼び出された場所に行くと、満開のサクラの木とその前に佇む女性の姿があった。雨の中で会う彼女は、大きな赤い傘を差していて、それがとても似合っていた。
これは大きく育ったものですね
サクラを見上げながら呟くと、女性は嬉しそうにほほ笑んだ。荷物の中から、小さな種火を取り出した。これは、このサクラを燃やすためだけに誤燃処理を施した火だった。この程度の雨では消える事もない。女性が小さく頷くのを見ると、花びらにその火を近づけた。火は瞬く間に花びらを燃やし、枝を伝い幹を渡り木全体に燃え広がった。
雨の中燃え盛るサクラの木を、女性はじっと見上げていた。傘を閉じ、ずぶ濡れになりながら、雫を払うそぶりもない。
この火はサクラの木以外には燃え広がりませんので、燃やすものがなくなったら自然と鎮火します。私はこれで失礼しますが、それまではどうぞご自由に
女性は目の前の光景に夢中で、何も聞こえていないようだった。瞳の奥に映る炎が、大きくはぜる音が聞こえた。
翌朝、焼け落ちた一本の木と焼死体が見つかったと人伝に聞いた。この四十一番星に存在するはずのない焼死体に一時騒然となったが、結局何もわからないまま、コスモスの咲く頃には誰も思い出すことはなくなった。

2022年6月 三66号 飯塚祐司 作

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