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詩誌「三」70号掲載【メンバーによるオンライン合評会】

ーー70号では、飯塚祐司の作品「三十七番星の赤い塔」について合評しました。

石山 飯塚くんの星シリーズ、もう何作目なのかな?
おなじみのシリーズ作品になっているね。

夜、夢を見ないことは、この作中の星のほとんどの人にとっては何てことない(むしろ効率的で快適なのかな?)かもしれないけど、この少年にとっては、怖くてしんどいものだったんだな、と読みました。
そんな繊細な少年を、周りの先生達も理解して受け入れてあげているのかな。
不思議な設定だけど、そういう繊細さというのは共感できます。
作中にいくつか出てくる比喩が個性的で、この作品の魅力の一つになっていると思います。
いいなと思ったのは、「深海に突き刺さった鯨の背骨」とか、「蜂蜜のような陽ざし」。
私はこんなふうには書けないような気がします。
作中の赤い塔、実は、この星の人たちが見るはずだった夢を吸い取っていて、夢の内容をデータとして蓄積して、秘密組織によって夢データが乱用される…とか、そんな展開もありかも…⁉
飯塚くん、そんなふうに書きそうだなーなんて妄想してました。
 
正村 星シリーズたのしんでいるので、また読めて嬉しいです!
「夢を見ずに眠る事は、死んでいる事と同じではないですか?」にどきっとしました。
詳しい経緯がわからないまま、夢を見ないように、脳の中まで管理されているという状況にぞっとします。
なんだか現代日本でも知らない間に知らない重大な法律ができていて、それを疑問に思わずにいるとしたら…
この少年のように恐怖と疑問をもっていたいです。(もしかしてもうそんな法律があったらどうしよう。)
個人的な意見ですが、「ぼくは、怖くて仕方ありません。」はかなり説明的じゃないかなと思いました。なくても少年の苦しさは仕草とかで伝わるかなぁと。

飯塚 ◯番星は三に載せてないのも含めたら二桁は超えてるはず。設定的に便利で、当分は手放せそうにないです。
「ぼくは、怖くて仕方ありません」のところ、確かに直接的な表現でどうかなというのは本人も感じます。
ただ、
①会話主体であること
②この少年が想定中学生くらいであること
の2点を考えると説明的になってもこういうストレートな表現の方が、リアリティがある感じがしました。
詩にリアリティが必要か、というのは別に議論の余地がある気もします。
 
水谷 シリーズいいな、私も2、3作続けたものはあるんだけれど。まとめて一つの詩集になりそう。
「ぼくは~」のところ、私は男の子の不思議な雰囲気に合っている気がしてそれほど気にならず読みました。
私には「翌日」の授業が始まる前までが、夢を見ているようにも感じられました。
違うかもしれないけど、そうだったら面白いなと。
夢を見てないのは、死んでるのと同じこと。私もドキッとして、「あ、そうなのかもしれない…」と思わされてしまいました。死んでる時にはもう、「思うこと」「感じること」といったことも、出来ないのかもしれないし。
飯塚くんの書くものは「フィクションなのに、怖さや説得力がある」っていうのがとても魅力です。
 
正村 確かにほぼ初対面?の会話と思うと、尚更はっきり言うのが普通な気がします。
この先生、はっきり言わないとわかってくれない気もしますし…
フィクションなのに、怖さや説得力がある、ほんとにそうですね!
 
飯塚 昔読んだエッセイで、「2人の会話シーンを描く際には、間に水の入ったグラスを置くだけで説得力が全然違う」って書かれていた。
会話の合間に水を飲んだり、グラスを持ったり、あるいはグラスに付いた水滴を拭いたり、そういうちょっとした動作の描写を挟むと、現実感が出て説得力が増すって書かれていたのをよく覚えています。
フィクションにどうやってリアリティを与えるかって話だったと思うけど、とても参考になったのを覚えています。
今回の作品でグラスの役割を担ってくれたのが猫。
この猫がいなかったら、動きがなさすぎて画面がもたなかったかも…
 
石山 誰のエッセイに書いてあったの? ちょっと読んでみたいかも。
二人の会話シーンに、水の入ったグラスを入れる、なるほどねー。
漫画でもそんな手法がよく見られる気がするな。
私は、それは画面に動きを出すためなのかなと思っていたけど、心理描写の効果もあるんだね。
 
飯塚 結構昔なのでタイトルとかは全然覚えてないけど、確か荒川洋治だったと思う…違ったらごめんなさい。
確か誰か授業受けてた気がするけど、今思うと荒川先生の講義を受けなかったのはもったいなかったな。
 
水谷 私受けてた、先生のめちゃくちゃ通る声で「ツルニチニチソウ」の話をしてて、何度も繰り返すから、笑ってしまったら怒られました。(いい思い出です)


 

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