感想


 『嘘と正典』は六つの短編によって成り立っている。そのすべてを読むと浮かび上がってくるイメージは正しさを極限まで突き詰めようとする意識だ。ここで言う正しさとは、人のものをとってはならないとか叩いてはならないとか言うような単純な要請ではない、むしろいくつかの短編には中核に嘘が組み込まれていさえいる。嘘を許容してまで正しくあろうとするのは嘘の蔓延を食い止めたいとの願いからだろう。読者は矛盾をはらんだ結論を受け入れざるを得ない。それは現実が硝子細工のように脆いという認識による。
 「嘘と正典」はエンゲルスの暴動参加容疑に対する裁判から始まり、無罪判決の場面で終わる。史実としては無罪だが、時間遡行の技術により裁判の結果を書き換えられる可能性が示される。変えるのは簡単だ、エンゲルスが裁かれれば後の共産主義は生まれない。その結果悲劇を未然に防ぐこともできる。工作員やスパイの活躍もむなしく結局歴史は改編されることはなかった、″歴史の守護者″が秩序を守るために介入したからだ。
 もし共産主義がなければ多くの苦しみは除去することができたはずだ。それと引き換えに多様な″真実″を産み出すことになるが。永遠な苦しみを固定化してまで正しい態度を取り続ける価値はあったのか。それはわからない、ただ真実が″真実″となることは防げたのだろう。

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