人事労務コンサル KAZ・SHINA公式note

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人事労務コンサルティング・株式会社サムライズ代表取締役|人事労務一筋25年以上のキャリア|人事労務に関するリスクマネジメント専門|起こり得る人事労務リスクを明確にして対策を提案|真面目に頑張る従業員を伸ばしたい、守りたい経営者を応援します。|

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不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.6「逃げるも地獄、残るも地獄」

 前回のとおり「チーズはどこに消えた?」という本が決断への心の背中を押したのですが、最終的に僕が退職を決断するのに大きな影響を与えたのは、「このままこの新しい会社に残っても明るい未来が描けない。」と強烈に感じたからです。  吸収された側の企業の従業員の宿命として、新しい会社で上に登っていくのはとても難しくなるということです。むしろ、虐げられたり見下されたりすることが多くなります。実際にこれまでの会社で経営職にいた者が吸収した側の経営者に会議の中で面罵される事件が起こりました

    • 不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.5「チーズはどこに消えた?」

       サラリーマンというものは、長期間同じ会社に在籍しているとその会社の「文化」「風土」に馴染んでしまいます。しかし、その「文化」「風土」が会社の倒産、そして他社との統合などで全く変わってしまうと過去に「馴染んでしまった」メンバーこそ「カルチャーショック」を受けてしまいます。  僕もその一人でした。やっていること、やらされていることは、これから   新しい会社としての事業運営上、必要なことだと理解はしているものの「受け入れがたい」ものでした。また、新しいことに取り組むことは過去

      • 不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.4「精神的に追い詰めらえる日々」

         担当した営業拠点の従業員の方に「人員整理」の説明するだけでも、精神的に相当な負担となっていたのですが、マスコミの問い合わせの窓口も任されるようになりました。本当に「何でもかんでもやらされる。」という感じですが、管理職が逃げるようにごっそり転職してしまい、彼らの仕事が回ってきたのです。  「報道機関からの質問があっても、わからない。答える必要はないで通せ。」と先輩から指示がありましたが、それでは回答にならないのはマスコミの方にとっては当然で、やむを得ず可能な範囲で答えると先

        • 不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.3「進駐軍、来たる。」

          法的整理になっても、いきなり解雇されるわけではないのですが、会社再建を認めてもらうためには、資産を売却したり、不採算事業を閉鎖しなければなりません。当然、その事業で余剰となる人員を整理する必要があります。そして、間もなく再建作業のために銀行から数十名の人たちが送り込まれてきました。 彼らはこれまでの会社のやり方をみて、「こんなことをしているから潰れるんだよ。」と僕たちを全否定してきました。なおかつ、「上から目線」で作業を指示し、残留して再建手続きを手伝っているメンバーのプラ

        不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.6「逃げるも地獄、残るも地獄」

          不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.2「会社、つぶれました。」

           それは梅雨明け前の蒸し暑い日だったと思います。見慣れた社長の顔がテレビに映り、会社が法的整理に入ったことを記者会見で説明していました。毅然としてはいましたが、いつものにこやかな顔が蒼白になっていたことが今も目に焼き付いています。  もちろん上場している大きな会社が「唐突に」法的整理に入ることはなく、「危ない。」「そのうちに」と言われていたので覚悟はしていましたが、「もしかしたら何とかなるのでは。」という甘い期待もしていたので、「事実上倒産」のニュースはショックでした。

          不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.2「会社、つぶれました。」

          不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.1

          2000年に勤めていた上場企業が、金融不況のあおりを受けて事実上倒産しました。 13年前にその会社に入社しましたが、そのとき父親が「上場企業に入社すれば、一生安泰やな。」と喜んでくれたことを今も思い出します。 「法人は死せず。」と言います。確かにその会社は死んだわけではないのですが、銀行に管理され、別の会社に運営され情け容赦のない「人員整理」が実行されたその会社は、もはや以前の好きだった会社ではなく「死んでしまった」のです。 「人員整理」の実務を行っていたメンバーの一人

          不器用な僕でも独立して生きてこれた。~倒産・退職・開業・現在までの20年の記録~ No.1