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アメリカでフレアバーテンダーの技術を学ぶ話 ③

 マイケルは明るい典型的なアメリカ人。フィットネストレーナーの活発な奥さんマリアンに子供がふたり、しっかり者のお姉さんリアとひょうきんな弟ザックの4人家族だ。白い壁の、ガレージと庭がある典型的な外国の家に日本から来た私を1か月半くらいだったか、よく受け入れてくれたと今でも本当に感謝している。

 朝起きて朝食を食べ、マイケルと車でショーテンダーズに行く。マイケルが仕事をしている間はボトルを投げ続け、仕事が終われば一緒に帰り、マイケル家で夕食を食べ風呂に入って寝る。

 週末はザックのベースボールの応援に行き、日曜は教会で讃美歌を歌う。想像通りのアメリカ人の生活がそこにはあった。

 ホームステイしてすぐにクリスマスが来た。部屋の中に巨大なクリスマスツリーを飾りクリスマスの朝にはたくさんのプレゼントが並ぶ。親戚の家に行くのも一緒で、アメリカの文化を肌で感じる刺激的な日々はどんどん過ぎていった。

 アメリカに来て3か月。観光で来たビザ無しの私は3か月を過ぎると不法滞在になるので日本へ帰らなければいかない。
 その帰る日の朝、私は泥酔していた。

 話は1か月前にさかのぼる。
「ショーテンダーズが主催する大会に出てみないか?」

 フレアを本格的に始めて2か月。
「大会?」私は、世界大会を見てからまだ2か月しか経ってない。出来るのか?

 大会の内容を聞くとフレア部門の他に注ぐ量の正しさを競うポア部門、決められた何杯ものカクテルを速く作るスピード部門の3つがあった。基本的に大会はすべての部門にエントリーしなければならない。フレア部門であるボトルを投げる練習は続けていたが、、と不安な顔をした私に講師はこう言った。

 「大丈夫、やり方は教えるから練習すればいい」

 まぁ、1か月も先のことだし、フレアを始めて3か月で大会に出るっていうのも面白いと出場することにした。

 大会に出場するという目標が決まれば、やるべきことが決まってくる。それまではただひたすらボトルを投げているだけだった私はフレア部門の音楽を決め、技の流れを決め、ポア部門とスピード部門のトレーニングを開始した。

 わからないことはすぐにスタッフに聞き、ひたすら改善を繰り返した。

 そして1か月後に出場した初めての大会でスピード部門で優勝、フレア部門が2位、ポア部門が3位とすべての部門で入賞することができた。そう、私には才能があったのだ。

 その日の晩はスタッフのみんなで飲んで騒いでとにかく楽しかったことは覚えている。次の日の朝早く起きてタクシーに乗り空港へ向かい、そのまま帰国することも覚えていた。ただ一つ、忘れていたことがあった。私はお酒が弱かったのだ。

 次の日の朝は泥酔していた。

 マイケルに「ヒロ、起きろ!」と揺さぶられたのはすでに空港に着くべき時間だった。タクシーを飛ばして空港に着いた頃には私が乗るはずの飛行機は飛び立っていた。

 ヤバい。やってしまった。
乗れなければ不法滞在になる。

しかし普段飲まない私が酔っぱらっているのでこちらは無敵である。
「何とかならないのか?」と言ったのかどうか、今となってはもう覚えていないのだけれど、乗り遅れたのは国内線だったので航空会社を変え、なんとか追いついて無事に出国できた。

 大会でもらった大きいトロフィーをそのまま持って空港をウロウロしていると「それ何?スゴイね、おめでとう!!」と多くの人に言われながら、充実した3か月だったなぁと振り返りながら帰国の途に就いたのだった。


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