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アメリカでフレアバーテンダーの技術を学ぶ話

 「今度はアメリカだ」

 フレアバーテンダーの技術を学びにイギリスに1週間行ってから3年、またフレアの技術が学べるチャンスがやってきた。家のパソコンにインターネットが繋がって、色々調べてたらたまたまフレアを教えるスクールのホームページを発見した。

 「ショーテンダーズ?」ショーをするバーテンダーだからショーテンダー。なので「ショーテンダー」で検索したら出てきたのがこれだ。アメリカのフロリダで5日間のスクールをやっている。他のサイトで同じフロリダでフレアの世界大会が行われることもわかった。

 イギリスから帰国した時には無理だと思っていたフレアバーテンダーへの道もどこかで忘れられなかったのだろう、「30まで好きなことをする」と決めてた私にはまだ3年ある。オーストラリアで約1年過ごしたし、ジャグリングも出来るようになった。ちょっとそこまで行く感覚で旅程を組み立てた。

 フロリダの世界大会を見に行って、それからスクールを受ける。滞在期間は1か月もあれば十分だろう。ちょうどその頃にテキサスで世界中でチェーン展開しているTGIフライデーズの世界大会もあるからそれを見て帰ろう。メールでショーテンダーに連絡し、チケットを手配した私は新たなチャレンジにワクワクしていた。

 フロリダで世界大会「Quest for the BEST bartender in the world」を見に行く。会場はなんとディズニー・ワールドだ。予選は選手のみで一般公開してなかったが、大会関係者らしい人を捕まえて「日本からこれを見に来たんだ。予選も見たいけど何とかならないかな?」ともぐりこむことに成功。ルーキー部門とプロ部門があり、どちらも想像以上に上手い人ばかりだった。日本初のフレアバーテンダー協会を立ち上げた北條氏、石川氏とはその会場で出会い、その後数々の世界大会に一緒に出場することになる。

 大会の興奮冷めやらぬ中、スクールの門をたたく。私の適当英語はやはり適当で「メール?予約?してたっけ?」みたいな反応だったが、アジア初の生徒として快く受け入れてもらった。

 他の生徒は2人で、どうやら働いているレストランから研修として受けに来てるようだった。10時から午後1時までの3時間のコースで夢のような5日間はあっという間に終わったが、まだまだ練習をしたかった。

 スクールも終わりが近づいていたある日、講習後も休憩せず6時まで練習していた私を見た先生が「帰国するまで時間があればここに来て練習していいよ」と言ってくれた。

 それから2か月間、まさかそいつがスクールが休みの日以外は毎日朝から晩まで投げ続けるとは誰も想像していなかっただろう。そういえば「クレージージャパニーズ」なんて言われてたなぁとしみじみ思いだす。

(続く)


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