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イギリスでフレアバーテンダーの技術を学んだ話

 イギリスに行こう。バーテンダーのパフォーマンスを教えてもらいに。アポ無しで。

 25年も前、今から考えるとよく行ったなと思う。英語もロクに通じない。もう日本に帰りたい。でもせっかく来たんだしと勇気を振り絞りコースターに書かれた住所に行ってみることにした。

 その場所は想像以上に田舎だった。ロンドンから特急で3時間。さらに電車を乗り継いで小さな駅に降り立った。ロンドンにたくさんいた黒人はおろか、アジア系の人間も全く見ない古くからある田舎町だった。

 イギリスの家には表札はない。地図を片手に歩いていき、数字が書かれた扉を確認した。ここだ。

 合ってるんだろうか?本当にこの家なのか?不安になってきたが、とにかく行くしかない。思い切って扉をノックしてみた。

 しばらくすると扉が開き、髭を蓄えた男性が出てきた。私は手に持ったアンドリューの新聞記事とコースターを見せて、身振り手振りで日本から来たこと、パフォーマンスを学びたいことを必死に説明した。コリンノットという名の彼は「OK、明後日から1週間仕事で町を離れるから明日来ればいい」と言ってくれた。何店舗かのトレーナーをしている彼は町を離れることも多く、タイミングがちょうど良かったらしい。

 「ところで、どこに泊まるの?」と聞かれて初めて宿をまだ探していないことに気づいた。近くの宿を教えてもらいワクワクしながら次の日を待った。やっぱり来てよかったよ。

 夜が明けて早速彼の家に向かい、1日中基本的な技を教えてもらう。1週間後にまた会えるということで、それから近くの公園でひたすら練習した。日本を離れた遠い異国の地で憧れの技術を練習している。最高の気分を味わいながらあっという間に1週間が過ぎた。

 2回目会った時にははじめに教わった技の確認と、新たな技を教えてもらった。その日の夜には彼が働くバーも見に行き現地で飲まれているカクテルやバーのスタイルを教わり、最後に彼がトレーナーをしているバーのマニュアルと練習用のボトルまでもらって帰国の途に就いた。

 日本のバーでこのパフォーマンスをするのは無理だ。

 日本のバーは落ち着いた空間、イギリスは賑やか。
 日本のバーは椅子に座るが、イギリスはスタンディング。
 日本のバーはゆっくり飲むが、イギリスはとにかく量を飲む。
 日本とイギリス、それぞれで飲まれているカクテルは全く違う。
 たとえパフォーマンスが出来るようになったとしても日本では受け入れられない、そう思った。

 1997年、とどのつまりやるのが早すぎたのだ。

 ただ初めての旅を通して英語は話せるようになっておきたい、ジャグリングはある程度できるようになっておきたいと思った。バーテンダーのパフォーマンスはとりあえず一旦終了。そして、次のやりたい事「英語ができるようになる」に取り組んだことが後に役に立つことになる。


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