まっとうに生きるには,逆張り過ぎる

「ロールパンナ理論」
児童向けアニメ「アンパンマン」において好きなキャラクターがロールパンナであった者は,その後の人生をおよそまっとうには生きられないとされている。

要約(適当)



リンクの動画はにじさんじ所属のVtuber,卯月コウの,信頼できるタイプの切り抜き動画だ。


まず「ロールパンナ理論」の概要を聞いて,ピンときた方。
さぞまっとうな人生を歩んでおられないだろうと思います。

リンクでは,ポケモン映画「水の都の護神」の最後,サトシの頬に少女がキスをするシーンにおいて,
「少女の正体がラティアスだと思うか・既に登場していた少女だと思うか問題」にも触れている。
(確かラティアスは劇中,時折その少女の姿に変身していた。よって上記の,変身したラティアスなのか少女なのか問題が生まれる。)


無論,私はラティアス派である。
この映画を見た方はもうお気づきかもしれないが,まっとうに生きられない一族の末裔である。


リンクの動画は「ロールパンナ理論」の該当者が逆張りであるとは明言していないが,逆張りか否かはともかく,少し大衆とは異なる趣向をしているものはまともに生きられないとするものだ。


「俺は…」

”ドンッ”
男は振り上げた拳を黒い机にたたきつける。

「逆張りだ…」




逆張りにはいくつかの種類があると有識者は語る。
一つはマイノリティオ〇ニー,いわゆるマイオナと揶揄される逆張リスト。
これはどういうことかというと,マイノリティであることにアイデンティティを感じている状態だ。


・・・(あとなんかあるかな…)


…正直逆張り学会では研究が盛んではないので,いくつかの種類があると言ったが,他の逆張リストを呼び分ける名前は存在しない。


おもんないという話し!

ネットミームにだけは詳しいから,文章書いてると連想的にネタに行きついてしまう。

「回転を掛けられた球はすべてネットミームの元に戻っていく」
「まるで引き寄せられるかの如く」

出典:手塚ゾーン


なぜ大衆と違う選択になるのかというと,常に”新鮮さと困難”を渇望しているから。


オンラインゲームではよくプレイヤーを飽きさせないために,キャラの強さなどに調整が入る。たいていの場合,その調整によって”メタ”となったキャラは,ゲーム運営によって強くなるべくして強くなっている。

おもんないんですよ。明らかに勝つために考えることが少ない。
個人的に前メタだったキャラを弱体化して,次にメタにする予定のキャラを強化するメタローテーション方式とでもいうべき調整するゲームは大嫌いです。”すればいい行動”が出来上がるからつまんないんですよね。

結果的に逆張ることになる。

『メタ』は『メタゲーム』の略語として使われるほか、現在のゲームで流行っているもの(カード、アイテム、武器など)を指す場合があります。

一部改変 https://gamer2.jp/post/meta-game/


ロールパンナのようなキャラを好きになってしまう理由に関して言えば,他のキャラ,アンパンマンやバイキンマン,ましてやカレーパンマンみたいなキャラって他の作品にもいるんですよ,ロールというか役割というか。
”そういう意図のキャラね”って感じてしまった時点で飽きてしまう。
ただロールパンナはそういうことを感じなかったんじゃないかな多分。

ラティアスの話は,新鮮さとかではなく,
ただ”少女がラティアスであって欲しいだけ”




おそらく僕みたいな逆張りは突き詰めれば”ロマン派”に帰着する。
大衆受けを狙ったような事物でなくて,エゴむき出しのキャラや考察しがいのあるストーリーが好き。
なぜならなかなかそんなキャラやストーリーはないし,難しくて面白いし,かっこいいから。
異性関係でいえば,マッチングアプリでなく,偶然的な出会いがいい。
なぜなら前者は,”誰かと付き合いたい”が先に来ているのであって,その人が好きになったから付き合いたくなったわけではないから。
なんか昔から,ロマンを感じない。

「先生,僕はこの先まともに生きていけるでしょうか」

逆目漱石:「これから」

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