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コーチによる差別発言

みなさん、こんにちは。
卒業シーズンですね。未来へ向けて夢膨らむ時期に、また心を痛めて卒業していった高校生がいます。

桐生第一高校サッカー部、生徒に差別発言や暴言
【要点】
・サッカー部コーチを務める2教諭が、サッカー部の生徒に「お前は人を殺す立場になる」と発言。
・生徒はペルーにルーツをもち、部活動に遅刻した際、「ペルー人って謝れるんだな」と差別的発言を受けた。
・このコーチは2019年に別の部員に「殺すぞ」と暴言を吐き、懲戒処分を受け、指導から外れていたがその後復帰。
・生徒は「学校には変わってほしい」と言葉を残し、今春卒業した。

毎日新聞(2024/3/23)

桐生第一高校サッカー部は全国屈指の強豪校であり、数多くのJリーガーを輩出してます。私も過去に卒業生を獲得したことがあり、その選手に関しては努力家で人間性も素晴らしく、今も第一線で活躍しています。
さて、なぜ部活動顧問による体罰・暴言(最近はスポハラと呼ばれる)は後をたたないのでしょうか。今回は体育系大学の教職課程まで遡り、過去私の感じていた違和感の話をさせてください。

25年前の話ですが、私は某体育系大学で教職に就いていました。教員免許取得を希望する学生は、3年次に学内実習という課程を受けなければいけません。これは他学部生の体育の授業を活用し、体育・スポーツ指導を行う実習です。いわば教育実習の事前練習のようなものです。開講前に担当する学生が打合せを兼ねて挨拶にきます。その際必ず学生に尋ねることがありました。
「なぜ教員免許を取得したいのですか」と。
ほぼ全員が同じ返事をしますが、何だと思いますか。「体育の教員になりたいから」ではありません。
「部活動の指導をしたいから」。
私はこのことに、当時からずっと違和感をもっています。教職を目指す目的は部活動のスポーツ指導であり、教育とはかなり距離があるように感じていました。
学生が言う”指導者”とは、監督やコーチのイメージでしょう。しかし現場では部活動の”顧問”です。学生が一流の指導者を志すことを否定するつもりはありません。しかし指導者になる手段として体育教師がある仕組みに問題があると思うのです。
きっと熱心な指導者は専門種目の勉強は日々欠かさないでしょう。しかし教育職の人間として、より広い視野で人間の尊厳や多様性の学びがあれば、このような発言は起きないと思うのです。

今回問題を起こした1人のコーチは過去に暴言で処分を受け、研修まで受けて現場復帰しているようです。この研修では改善できなかった事実を受け止め、研修から現場復帰までのプロセスを再検証することが必要だと思います。
被害を受けた生徒のコメントです。「自分が受けたような指導が続いたら後輩や新しく入学する子たちがサッカーを嫌いになってしまう」。指導者が最も大切にするべき指導の柱だと思います。この生徒こそ、将来教員を目指してほしい国の宝です。
みなさんは後を断たないスポハラ問題についてどのような意見をお持ちでしょうか。


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