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古典占星術とエレメントと気質


#ヘレニスティック占星術勉強メモ

今は当たり前のように使われている、「エレメント」と「サイン」を結び付ける考え(♈♌♐=火星座、など)が、ヘレニスティック占星術時代はまだあまりメジャーではなかったことを知ったので、その前後を整理するための個人的雑まとめ。間違いがあったら教えてください。

(ヘレニスティック占星術とは、現代の占星術で使われている ①惑星②サイン③ハウス④アスペクト の4つのテクニックが確立した、古代ギリシャ・ローマ世界、紀元前50年~7世紀頃に使われていた古典占星術です。Hellenistic Astrology / Chris Brennan の本と、彼のコースを受けながら勉強しています。)


結論から言うと

・ヘレニスティック占星術家たちの間で「エレメント」と「サイン」を結びつけて考えていたのはかなり少数派。Rhetorius, Valens, Firmicusなど。

・エレメントとサインを結び付けることが一般的になったのは8世紀~9世紀頃の中世イスラム世界から。最初期のホラリーのテキストを書いたマーシャアッラーの記述などがある

・エレメント+気質(熱・冷・乾・湿)論はその後中世ヨーロッパの、医療占星術が栄えた頃更に発達する。この頃医者は大体占星術の心得があり、患者の体質や病状の診断などにエレメント+気質論はよく使われていた。

・古代ギリシャ~イスラム~ヨーロッパに占星術の拠点が移るうえで、エレメント+気質論は微妙に内容が変化している。主にアリストテレス派の教義と、ストア学派の教義の2つにわかれるようである。

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8~9CEはローマ帝国からイスラム世界へ占星術の拠点が移った時。
イスラム黄金時代(750~1258)、一大翻訳プロジェクトが興り(750~950)(バグダッドの「知恵の館」など)、ギリシャ語の占星術の文献も多くこの時アラビア語に翻訳された。

中世イスラムの代表的な天文学者/占星術家マーシャアッラーが読むことができたとされているのは、Rhetorius(6~7CE)やValens(2CE)の文献。

この2人は、ヘレニスティック占星術家のなかでも少数派の、「エレメントとサインを結びつけて考えた」派だったけど、それしか知らないマーシャアッラーはエレメントとサインを結び付けるのが主流なのだと思った。と考えられる。

イスラム以前、ローマ帝国で栄えていたヘレニスティック占星術では、12の星座を♈♌♐、♉♍♑、♊♎♒、♋♏♓の4つにわける「トリプリシティ」は広く使われていたものの(この分け方はメソポタミア後期からあった)、それを自然界の「元素」に結び付けるという考えは浸透していなかった。

元素の考えが生まれたのは紀元前5~6世紀古代ギリシャ。

「四元素」説を唱えたのはエンペドクレス。
初めて「元素」という言葉を使ったのはプラトン。(+形→プラトン立体)
「元素」と「気質」を結びつけたのはプラトンの弟子のアリストテレス。

アリストテレスによると、元素とその気質の関係性は

火は ①熱く ②乾いている
風は ①湿っていて ②熱い
水は ①冷たく ②湿っている
土は ①乾いていて ②冷たい

であったが、アリストテレスの弟子テオプラストスが
「水の一次的な質は「湿」であり、風の一次的な質が「冷」である」
とし、アテネで学んだストア学派の創始者ゼノンは、それを採用する。


ヘレニスティック占星術は、ストア学派の影響を強く受けた占星術なので、

火(の第一気質)は 「熱」
風は「冷」
水は「湿」
土は「乾」

の考えが主流となる。

「気質」を考えるとき、ストア派では、ものごとはまず「陰」と「陽」の二つの質に分けられ、二つの相反する質がバランスを取り合いながら四つの元素として成り立っている、という考えだったので

アリストテレスの言う相反する質は

火(熱)の反対は 水(冷)
土(乾)の反対は 風(湿)

だったのが、ストア学派では

火(熱)の反対は 風(冷)
土(乾)の反対は 水(湿)

となる。

これは、12星座にあてはめた時、「火」星座の牡羊座の対向には「風」星座の天秤座、
「土」星座の牡牛座の対向には「水」星座の蠍座があることから、今でも論理的に妥当だと言える考え方である。


この時期のヘレニスティック占星術家たちのなかで、12星座とエレメントを結びつけていた占星術家がとても少なく

その少なさがちょっと怪しいので、どうも意識的にそこに触れていないのではないか、というのがクリス(・ブレナン)さんの考え

というのも時代背景として、もともとあったアリストテレス派の哲学と、新しくでてきたストア派の哲学者たちは仲が悪く、ヘレニスティックの占星術家のなかでも、プラトン/アリストテレス哲学を支持する人が結構おり、その人たちはストア派の四元素の考えに賛成していなかったのではないか、だから教科書に記さなかったのでは?という推測。

また、イスラム世界に伝わったエレメント+サインの元文献はRhetoriusとValensの、ストア派のエレメントを適用したものだったのにも関わらず、何故かこれ以降のエレメント+気質が、アリストテレスのエレメントが適用されているところもわかってないみたい。ただ中世イスラムにアリストテレスのファンは多かったみたい。


「対」の考えが重要らしかったということで、オポジションについてもちょっと考えたことを書きたかったのだけどまた今度。


#古典占星術 #エレメント #四元素 #古代ギリシャ #占星術 #ヘレニスティック占星術

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