『現代思想入門』を読むためのメモ(第四章 現代思想の潮流──ニーチェ、フロイト、マルクス)
p.116
ニーチェ『悲劇の誕生』(1872) … 秩序の側とその外部、つまりヤバいもの、カオス的なもののダブルバインドを提示した。古代ギリシアにおいて秩序を志向するのは「アポロン的なもの」であり、他方、混乱=ヤバいものは「ディオニュソス的なもの」であるという二元論
p.117
千葉雅也『動きすぎてはいけない』 … 本のタイトル、動くというのがエネルギーの流動性を表しているとするなら、そこに抑制がかかることで何事かが成り立つという意味
p.118
ニーチェ『悲劇の誕生』 … 大ざっぱな図式を打ち出し、かつギリシア悲劇を当時ニーチェが入れあげていたワーグナーの音楽に結びつけ、ワーグナーの革新性を謳うもので、研究というより今日風に言えば「批評」的な著作
p.120
ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』(1819) … 世界が秩序立った「表象」として見えている一方で、世界とは本当はひたすら邁進していく「盲目的な意志」であり、我々はそれに振り回されるという議論を展開している。そのどうにもできない力に対して、人間が向かうべき「涅槃」、「無」の思想が語られる
p.130
カント『純粋理性批判』(第一版、1781、第二版、1787) … 哲学とは「世界がどういうものか」を解明するのではなく、「人間が世界をどう経験しているか」、「人間には世界がどう見えているか」を解明するものだ、と近代哲学の向きを定めた
p.132
フーコー『言葉と物』 … 「古典主義時代」(17〜18世紀)は、思考に対する事物の現れ、すなわち「表象」と、事物それ自体とを区別することはなく、事物を思考によってじかに分類整理できる、という時代だった
p.133-134
慎改康之『ミシェル・フーコー──自己から脱け出すための哲学』岩波新書、2019年、75頁 … (引用)表象空間から解放され〜「終わりのない任務」へと呼び求められるのである。
p.135
同書 … (引用)そしてフーコーによれば〜根源的に有限な存在としての人間が、ここに登場するのである。
カント『純粋理性批判』 … 新たなる有限者=近代的人間のあり方を、初めてクリアに分析した画期的な仕事だった
フーコー『言葉と物』 … カントも含めて知の近代化とは有限性の主題化にほかならない、ということを明示した
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