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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

映画「フットルースが人生だった話」

私にとっての映画観


映画って、どれだけその虚構に対して自分とか社会とかを同一視できるかだと思うんです。作品のプロットが面白いとか面白くないとかはもちろんなんですけど、それ以上に自分は前者を大切にしています。人生の中の映画ランキングとかも結構それで決めちゃっている節はある。だからこそ、それぞれで好きな映画、嫌いな映画だとかが分かれていくのが当然であるし、万人受けする映画なんて数少ない。世間では評価の高い映画が自分にとってはあまり面白くなかったり、逆もまたしかり。(ただ、一定数評価の低い映画をよかったということで自分にしょうもない付加価値をつけていく逆張り人間とかは存在するが、それはまた別の話)

フットルース、最高でした

それを踏まえて言わせてほしい。1984年制作の映画、「フットルース」めちゃくちゃよかった。なんだこれ。最高ジャン。俺のための映画?ありがとう。ケビンベーコン。

この投稿を読み進める前に

この投稿、ある程度見た人のために書いています。ネタバレをかなり含んでいるし、見ていない人にはなんのこっちゃわからないこととか多いと思うので、そういった人はブラウザバックしてください。それでYoutube Shortsとか見ててください。そっちの方が面白いと思います。

本題、映画「フットルースの最高さ」

何と舞台がユタ州、トガりすぎ

まずこれ舞台が多分ユタ州なんですね。ここに1年くらい留学してたんですけど、確かに保守的な街。この映画が作られたときは結構前だから、作品内で描かれているような大げさに町全体が宗教的!みたいなことはないのだけれど、いまだに宗教色が色濃く残っている街だった。大麻やたばこ、お酒はもちろんのこと、授業中にコーヒー飲んでたら周りの人たちがちょっと嫌な顔してた。それもそのはずで、ユタ州では人口の7割くらいがモルモン教徒っていう人たち。イメージとしては、めちゃ敬虔なキリスト教徒って感じ?それでカフェインも刺激物と認定されてて、禁止されている。だからコーヒー飲んだら嫌な顔されたんですよ。
この映画の中でも、モルモン教徒には言及しないものの、明らかにそう思わせるシーンが存在する。それに加え、ユタ州で撮影している時点でもう確定。
ここまでだらだら喋っていて何が言いたいかというと、私は、この映画にずっぽり入り込めた。ずっぽりという擬音初めて使った。ずっぽり、もっと適切な言い方ある気がするけど。
時折見られる山々の景色とか、線路とか町並とかがもう留学していたころ見ていた景色そのもの。まるで自分がこの創作物の中に入り込めたかのように自分を同一視することができた。この時点でもう最高。日本の映画とかだとこれが結構起こったりするんだけど、ハリウッド映画でこの体験ができるとは思わなかったし、経験もなかったので「こんなの初めて!」っていう感じで興奮してた。エロ漫画みたいなこと言っちゃった。

自分が住んでいたからこそわかる、宗教を抜けるということの苦悩

牧師さんとその娘の苦悩は計り知れないものだったと思う。自分の周りにもモルモン教徒を抜けた人たちが一定数いるけど、口をそろえて辛かったって言ってる。宗教を抜けるってことはそれまで信じていたものを手放すってことだし、親とも違う考えを持つようになるっていることで、自分のそれまでの一部を切り捨ててしまうような行為になってくる。だからこそ娘がもう処女でないことをカミングアウトしたシーンは衝撃だった。モルモン教徒にとって、結婚前の不貞行為はかなりのタブー。それを伝えることは棄教を意味しており、それを聞いたしまった父親が不憫で不憫で。もう。ただ、言わせてしまった責任というのはあるよね。その悲しみは想像もできないほどつらかったと思うけど、もっと寄り添うべきであった。親という立場なんだから。また、あれを言うしかなかった娘の追い詰められようも見ていてしんどかった。

ダンスという要素

このユタ州という要素に加え、「ダンス」というものに対する自分の感情?がこの映画をより引き立ててくれるエッセンスになった。ラスティって言いう登場人物がいるんだけど、もうめっちゃ自分やってん。こいつが。えぐい。途中のダンスバー?行くみたいなシーンあるんだけど、情けないことにこいつは踊るのうまくないからという理由で外からビール飲んでばっか。なっさけない。何してんねん。参加しろや!!!って怒鳴り上げた。意味わかんないくらい激励した。なんでかというと、自分を見ているみたいだったから。これは本当にそう。大人になるにつれて取り巻きから何かを見ている側に回ることが増えて、ダサいことやってんなーって嘲笑してる。本当は自分がその輪に入って楽しみたいくせにそんなことできずに悲しんでる。情けなさ過ぎるって。自分。けっきょくラスティは情けないことにダンスの輪に入れずにガールフレンドをとられてそいつにいちゃもんつけて殴られるんだけど、このラスティと自分が違うところは、この後めっちゃダンスの練習すること。偉いよ。悔しいという気持ちを原動力に変えて、最後にはプロムの中心で踊ってる。なんかなれなかった世界戦の自分を見ているみたいだった。かっこよすぎたし、めちゃ泣いた。ダンス始めようかな。

唯一嫌だったこと

まとめに入る前に、この映画の中で唯一嫌だったことは、演出がクサすぎること。それも含めてこの時代の良さかもしれないが、ケビンベーコンが体操してるとこの編集はダサすぎて笑ってしまった。 

まとめ

「ユタ州」、そして「ダンス」という二つの要素が自分の中で消化されて最高になったこの作品。ちょっと古いけど、ぜひみんなにも見てほしい。ただこの映画を見たことで宗教はだめだよねーーこわいよねーーとかそんな単純な結論に達しないでほしい。確かに少しネガティブに書かれているかもしれないけど、この映画が伝えたいことはそんなことじゃないと思う。
それとこのレビュー。いい映画を見た後のハイになっている状態で書いているので、敬語とため口がごちゃまぜになっているし個人的な情報をかなりばらまいているのでかなり恥ずかしい。ここまで読んでくれた人、ありがとう。


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